Talltree Father's Memory | talltreeのブログ

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TTF(talltree factory)の趣味・家族の生活記録ブログです。
明るい自閉児しおんの日常のほか、音楽・写真・旅行・韓流ドラマ・K-POPなどについて、エッセイまたは小ネタで語ります。
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しおんパパtalltreeです。「物語」第3回をお待ちの方には申し訳ないのですが、もう一話、「別伝」にお付き合い下さい。父の日は来週(6/19)ですが、父のことを書いてみました。

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 私の父は2006年10月に肝臓ガンで亡くなったが、その半年ほど前から、ある場所へ車で行こうと私たち家族や姉を誘っていた。6月半ばに出かけたが、そこは兵庫県姫路市から北上した所にある山村だった。父はここで生まれ、また戦時中に疎開して過ごしたという。その頃世話になった人たちに挨拶がしたいと、たくさんの土産物を積んで行き、お寺や商店、民家を回った。私や連れ合い、姉は父の死期が近いことを知っていたから、父が最期を前に、ほとんど本能的に自分のルーツを再訪する旅をしているのだなと思って、素直に父に従っていた。


 父は五人きょうだいの長男である。十代半ばで実母を亡くしている。下の弟妹はさらに幼いのだから、その頃から親代わり・まとめ役・リーダーだった。若くして泣き言がいえない立場だった。同時に団欒の暖かみを知らぬ、言わば「甘えたくても甘え切れなかった人」である。


 後年、父の体調が悪くなってからだが、私や姉、母と入院や手術などについて話し合っていて、口論になったことがある。その時父が突然「こんなにしんどいのに、何でそんな喧嘩になるねん」と叫んで泣き出したことがあった。それまで身体の不調をこらえ、父は黙って耐えていたのである。そんな時くらい父は家族に優しくして欲しかったのだ、甘えたかったのだと、私は父の「本性」を垣間見た気がした。


 お互いの志向を尊重しつつ、できる限り家族みんなで行動を共にする。誰かが犠牲になるというのではなく、家族みんなが楽しむこと。これが現在の我が家の基本である。思えば私の父も、そんな家庭を作りたかったのだ。記憶をたどって、毎年旅行をしたこと、休日には食事に出たり、遊びに出かけたことを思い返すと、父は父が願う「理想の家族」を実践しようと懸命に働きかけていたのだと思う。つまり息子である私は、父の思いを受け継いで、自分の家庭でそれを実現しつつあるのだと考えている。

 父は祖父という立場でも、私の幼い息子たちを心から可愛がり、孫たちと共に過ごす時間を多く割いてくれた。配達や仕入れに向かう車に孫を乗せ、子守りがてらに連れ回したり、何か事情がある時には、車で孫の送り迎えをしてくれた。



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 しおんの障害についても「しおんは喋れないだけで、何でもわかっているんですわぁ」と父は口癖のように言っていた。それはないぞ、できないことはたくさんあるぞといつも思っていたが、ある意味での真実を見抜いていた、あるいは見ようとしていたのかも知れない。 
 

 2006年の秋、しおんが学校で組み体操に参加した。身の軽いしおんが、何層か重なった頂上に立ち、両手を広げた決めポーズをデジカメで撮った。帰りに父が入院している病室へ行き、その写真をモニタで見せようとしたら、今はもういいと言った。せっかく孫の晴れ姿を見せに来たのにと、その時は思ったが、よほど身体が辛かったのだろう。可愛い孫の写真を眺める気力も失せていたのだ。ほどなくして父は逝った。最後の入院後ちょうど三週間だった。その頃しおんは授業で初めてデジカメを手にしていた。面白い写真を撮るというので、それならと一眼レフを買い与えたのはその直後である。全くの偶然だが、その後の紫苑と写真との関わりを考えると、何か因縁めいたものを感じずにはいられない。
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 父がしおんを導いたのではないだろう。それにしても、孫が写真展を開くとなれば、もし父が生きていたら、どんなに喜んだことかと思う。見栄っ張りで親分肌で外づらが良くて、大きな顔をするのが好きで、日頃私たちには始末(倹約)しろと言いながらも、借金してでも贅沢を好んだ父がいたら、写真展の来客数は、恐らく倍には増えていただろう。父方母方の親類縁者はもちろん、銀行や問屋関係、あらゆる友人知人を引き連れて、何度もギャラリーを訪れたに違いない。「○○さんがお花持って来てくれはったで、ちゃんとお礼言うときや」「先生、ご飯まだやったら、ちょっと一緒に行きましょや」と、幾分偉そうな口振りで得意そうに話す姿が、私には目に浮かぶ。きっと父は、そういう形で私たちを助けてくれた。そうすることで孫の晴れ舞台を心から喜んでくれただろうと思う。


 惜しかった。父に写真展を見せたかった。せめてあと5年の寿命があったなら…。


 ギャラリーへの来客が一時途切れて、先生としおんと共に急いで食事に出た帰り道に、ふと父のことを思い出し、そんなことを思った。(先生、毎回ボンズでごめんなさい)

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