自分を受け入れるまで~8.自宅生活の辛さ | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

退院して数日間は妹が泊まりで助けてくれました。

主婦が突然、1か月以上家を空けたのですから、
家の中は、それなりに…(涙)

娘はよく頑張ってくれました。
フルタイムの仕事の後で
毎日のように病院に顔を出してくれていましたから、
それ以上は望めません。

とりあえず、ベッド、トイレ、台所とお風呂場への動線を整え、
介護ベッド、車イス、歩行器をレンタルし、
お風呂のシャワー椅子を購入して
生活が始まりました。



介護保険が使えませんから
結構な出費になりました。
介護保険外の、ヘルパーさんを低料金でお願いできる
サービスがあると教えてくれた人もいましたが、
私の住んでいる所では見つけることができませんでした。

妹が大阪に帰った後、少なくとも日中は、
自分一人で何とかしなくてはいけません。

家の中では歩行器、外は車イスです。
この時点ではまだ、
一人で外出することなど考えられませんでした。



間の悪いことに、退院から二日くらいしてから、
放射線の副作用で頻尿になりました。
痛みがないので膀胱炎ではないことはわかりましたが、
初めは原因もわかりませんでした。

歩行器ではトイレに駆け込むこともできず、
狭いトイレで向きを変えるのも一苦労で、
トイレに入るまでいつも1分くらいかかっていました。

その1分が我慢できず漏らしてしまう。
夜中も何度か起きなくてはならず、
パッドを当てていても漏れてしまうこともあって、
惨めな気持ちで濡れた下着の始末をしていました。


私の病院では、放射線照射が終わった翌日に
放射線科の診察があって、それで終わり、
何かあったら来てください、という感じでした。

足の付け根への照射でしたから、
膀胱やその回りの神経に影響があったであろうことは、
後から気づきました。
もっと早く放射線科を受診できていたら楽だったのですが、
原因に思い至らなかったのですから仕方ありません。

9月の半ばに泌尿器科を受診するまで、
頻尿と尿漏れには苦しめられました。
(泌尿器科で出してもらった薬で、症状は改善し、
今は薬なしでも生活できています。)



9月3日から、ドセタキセル・パージェタ・ハーセプチンと
ゾメタの、3週に1度の治療が始まりました。
初回は口内炎や皮膚や粘膜の障害など副作用が酷く、
お粥も食べられない時もありましたが、
ドセ減薬やステロイド薬で、2回目以降は多少楽になりました。

でも浮腫みや味覚障害は回を追って酷くなっていきました。


気持ちの落ち込みもありました。
Dr.ムーミンに訴えると、「精神安定剤の服用か、
家族に話してつらさを和らげること」を勧めてくれました。

結局薬は使わず、家族の前で泣いたり、
教会の人に祈ってもらったりして乗り切りました。


今、思うことですけれど、こういう時こそ
「緩和ケア」の出番なのではないでしょうか。
がんが進行しての身体の痛みは取っても、
心の痛みは家族任せでしょうか?

最近、緩和ケアチームという言葉をよく聞きます。
私の主治医は外科の先生ですが、
どんなにいい先生でも、
できることは限られていて当然です。
違う分野の先生や看護師さん、
もしかしたらケースワーカーさんも関わって、
全国どこの病院でも
その人が必要としているケアが受けられる、
そんな日が来たらいいなと思います。



この時何が辛かったのか。

気をつけていたのに骨折してしまったこと。

不自由な足が原因で
日常生活が思うように送れない苛立ち。

抗がん剤の副作用。

そしてもう一つ、
あとどのくらい生きられるのか、という不安です。






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