自分を受け入れるまで~1.骨折 | 蟹、退治中 (乳がん生活)

蟹、退治中 (乳がん生活)

2012年12月 乳がん告知
13年2月 右乳房切除術(HER2 3+、ER +、Pgr -、リンパ管侵襲あり)
3月から抗がん剤(AC)、ハーセプチン、ホルモン療法の
術後治療を提示されるも、若き主治医の方針は一転、二転。
主治医を変え、ハーセプチンとフェマーラで治療中に
転移発覚

サバイバーの方は
あの日から1年、という時、何を思い浮かべますか?


告知日から?

手術の日から?

術後の治療が終わってから?

それとも転移の告知から?


私は、骨折した日のことを、一番はっきりと覚えています。


初発の告知も、転移の告知も、
もしかしたら、と最悪の場合も想定していたので、
比較的すんなりと受け入れることができました。

そうなっちゃったか、と。

それならそれで、できることをするしかない、と。


でも骨折はそうじゃなかった。

ある日、突然、生活が変わってしまった。



1年経って、あの頃のことを冷静に思い出せるようになりました。
あの時書けなかったことを、書き留めておこうと思います。



しばらく、シビアな話が続くかもしれません。

苦手な方は読まないでね。

コメント欄も申し訳ありませんが閉じさせていただきます。


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2013年2月に右乳房全摘、術後4回のAC

その後フェマーラと並行して

一年間のハーセプチンが終わりに近づいた頃、
左足の付け根に痛みを感じるようになりました。



2014年6月3日

膝の痛みで通院したことのある、近くの整形へ。
膝と同様、年齢的なことからくる痛みだと思っていました。



6月11日

検査の結果、大たい骨に空洞があると言われてクリニックへ。
この日はハーセプチンの最終日でした。



6月18日

手術してもらった病院に行って検査。
本来なら術後1年のCTと心エコーの日でした。

この時点でも、転移かどうかは五分五分だと思ってました。

腫瘍マーカーは基準値内だったし、

リンパ節転移もなく、Ki67も高くなかったので、
転移するとしてももっと先のことだろうと思っていました。

この日以降造影剤MRIなど、
原因をはっきりさせるための検査がありました。



7月2日

整形受診。
転移告知。
大たい骨の影は溶骨性の転移と思われるので、
骨折に気をつけるようにとのこと。


同日、外科受診。
肝臓にも転移の疑われる影が見つかったとのこと。
この日以降さらに追加検査。

検査がひと通り終わったら外科Dr.と整形Dr.が話し合い、
7月16日の診察で
今後の治療方法を決定することになりました。


整形でも外科でも、
動いてはいけないとは言われませんでした。

ただ、骨折しやすくなっているから動きに注意するように、と。

母が肝臓がんの骨転移で骨折を経験していましたから、
言われるまでもなく気をつけていました。

出かける時だけでなく家の中でも杖を使って、
体重を分散するようにしていました。



7月15日

車で近くのコンビニへ。

買い物中、ついていた杖の長さ調節ボタンが外れ、
杖が急に短くなったと同時に足に体重がかかり、
骨がグシャッ!と。


折れたのがはっきりわかりました。


痛くなってからわずか2か月。

あっという間の出来事でした。

診察日の前日のことでした。



オマケ:ねこあつめてます





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