今でも「教え」に行っている選手はいるのだろうか | Los Tres Diamantes presenta "TIERRA FECUNDA"

今でも「教え」に行っている選手はいるのだろうか

 産経新聞に元読売他の新浦寿夫が韓国に渡った当時のエピソードが紹介されていました。韓国にプロ野球が誕生して間もない'83年秋、「韓国に日本の野球を教えに行く」という感覚だったそうです。

 

 そこで各球団から在日の選手がかき集められたというわけだったのでしょう。すでに先んじて元広島他の福士や元ハム他の宇田らが韓国に渡っており、読売からは藤田政権下の3年間は完全に飼い殺し状態にされていた新浦が選ばれたようです。この前の年に張本が在日の選手を引き連れて韓国の実業団チームと試合を行ったそうでてっきり当初は張本が韓国に渡るものと思っていたらしいです。

 

 この韓国プロ野球誕生には親日家の朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領や在日のヤクザもんなども関わっていたという話は聞いたことがあります。野球よりサッカーや格闘技のイメージの強い韓国でよくぞ野球文化が根づいたものだとは思います。そこにはこうして韓国球界に派遣された在日選手の苦悩があったわけでしょうが、どうも彼の国のプロ野球選手は理解できない部分が多々ありますね。お国柄の違いもあるのでしょうが、最悪だったのはWBCでの日韓戦で韓国チームが勝利すると韓国選手がマウンドに自国の国旗を突き刺したことです。あんなことをやるのは朝鮮半島だけでしょう。日本に勝ってうれしかったのかもしれませんが、それはいくらなんでも違うんじゃないのと思いました。

 

 韓国球界に渡った選手の大半は在日の選手でしたが、唯一在日ではなかったのが元ヤクルトのジャンボ宮城です。この人は自分から志願して韓国へ行ったそうですね。在日に対する風当たりが強い韓国で、わざわざ日本人の宮城がよくぞ行ったものだと思いました。今から40年ほど前の韓国なんて今とは全く違って夜間外出禁止令が敷かれていたり、軍事政権だったり、いまどきのきらびやかな?韓国とはかけ離れたイメージの韓国ですよ。私が初めて韓国を訪れた'91年の暮れ、ダイエーホークスの鷹ジャンを着てソウルの街角を歩いていたら背後から現地の見知らぬオッサンが近づいてきていきなり「俺はお前らのせいで屈辱的な人生を送る羽目になった。責任を取れ!」と罵声を浴びせられました。言いがありもいいところだなと思って無視していましたが、それより前の'80年代に在日や日本人が韓国社会で暮らしていこうものなら相当つらい体験もしたことでしょう。何といっても日本を何千年にも渡って「恨む」という国ですからね。

 

 ところが近年はそんな韓国から多くの観光客が日本に押し寄せてきています。さんざん「日本が嫌い」と言っている韓国人がなぜわざわざ嫌いな国にやってくるのか不思議です。そんなに嫌いなら無理して来ることもないと思うのですが。私は過去に二度、韓国を訪れていますが、いずれも自分の意志で行ったわけではありません。

 

 戦前、戦中にひどい扱いを受けたと声高に叫ぶ人が多いですが、それはあなた方にも問題があったのではないでしょうかと問いたいものです。終わった話を何度も蒸し返しては謝罪だ賠償だと騒いでいるのは半島の朝鮮人とと大陸の漢民族だけでしょう。いつも思うことですが、民度が低すぎなんです。