球界の訃報相次ぐ | Los Tres Diamantes presenta "TIERRA FECUNDA"

球界の訃報相次ぐ

 3日前の11日(水)に元ロッテの醍醐猛夫氏が白血病のため81歳で亡くなったと伝えたばかりの昨日、また訃報が飛び込んできました。

 

 かつて黄金時代の阪急ブレーブス(現・オリックスバファローズ)で右の代打の切り札として名をはせた高井保弘氏が腎不全のため入院先の西宮市内の病院で亡くなったとのことです。74歳でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

 

 高井保弘、代打としての勝負強さもさることながら、何と言ってもメジャー選手でも成しえなかった27本の代打ホームランを放っていることです。こんな大記録を持っているのは日米を通じて唯一高井だけです。本当にすごいバッターでした。以下の動画に現役時代の高井が掲載された選手名鑑がありますのでご確認下さい。

 

阪急ブレーブス '76年選手名鑑 ↓

 

 

 

2年連続で日本一に輝いた昭和51年、今から43年前の選手名鑑です。↑の動画の5分18~19秒あたりに高井が出てきます。体型は晩年の南海・門田のような小柄ながらやや太めの選手でした。バッティングはパンチ力があって打球はどこまでも遠くへ飛んでいくような感じでした。敵ながら高井が代打でコールされると恐怖感すら覚えたものです。

 

 今でも思い出されるシーンは'73年(昭和48年)、阪急対南海のパリーグプレーオフ第7戦で最終回の阪急の攻撃で満塁の場面で高井が代打でコールされました。一打サヨナラの場面で高井です。当時小学3年だった私でさえ冷や汗ものです。この場面で南海・野村監督は佐藤道から江本にピッチャーを代えます。江本は期待に応えて高井を抑え、南海としては最後の日本シリーズへ進出しました。日本シリーズでは読売に敗れ、前人未到のV9の御膳立てに貢献してしまうわけですがあの場面、もし高井に打たれていたら南海の日本シリーズ進出はなかったのです。

 

 そして高井は翌'74年(昭和49年)のオールスター第1戦で最終回代打で登場。全パ監督の野村監督の期待に応え、サヨナラホームランを放ちました。長嶋茂雄が「我が巨人軍は永遠に不潔です」と発して引退した年です。

 

 '70年代、向かうところ敵なしの阪急の黄金時代を支えた戦士がまた一人この世を去りました。残念の極みです。