朝井リョウ著『何者』という小説を読んだのだけれど、これがすごく面白くて色々な事を思い出したというか、考える事があった。
まぁ別に読書の感想を書こうというわけではないから、ここで物語に沿って書いていく事はしないけれども、作品から僕が考えた事とか思い出した事を書こうと思う。
現実の世界には色々な人がいるけれど、どうしても僕/僕らは、誰かと自分を比べてしまったりして、優越感や劣等感を感じてしまう。
ましてや、みんなで並んでというか、同じようなタイミングで同じような事にあたっていたりすると、それは尚更だ。
本当は勝ちとか負けとかはどうでも良い事のはずなのに、どうしてもそうやって何らかの基準を設定して、自分を測ってしまう。
そんな風に、ある一つの基準でモノを見ている目線のその先にある世界は狭い。
人とは違う自分。意識高い系の自分。
どこにでもいるような普通の誰かや、特別には意識の高くない誰かを想定して、そうでない自分を構築していく事で、『何者』かになれる事を期待してしまうのだ。
逆に言えば、自分が今の自分から成長して、または変わっていって、自分の理想とする何者かになれるかどうかがわからないから、その不安を少しでも払拭する為に、周囲に、あるいは自分自身に対する暗示としてアピールする。
でも例えば社会に出て、それぞれが自由に色んな立ち位置や振る舞い方を選択し始めたら、そんな事は大した意味は持たなくなる。
そもそも、人とは違う事が当たり前になってくるし、何かに対して意識が高くても低くても、趣向によるところが大きくなってきたりするからだ。
じゃあ、僕はどうなんだろうかと考えてみたけど、やっぱりそうやって人と比べてアレコレ考えてた時期はあったし、今でも少しそういう部分があるかも知れない。
まぁ、大なり小なり誰にでもあるんだろうけどね、きっと。
そんな風に葛藤しながら日々を暮らしていくわけだけど、何だか今でも些細な事にイライラしたり、子どもみたいな部分が残っていたりして、自分自身はそんなに大きくは変わらないのだなと思うと、少しだけウンザリもするけどね。
ただ、視界がいくらか広がって楽になった分やり過ごせてるだけなのかも知れない。
寂しいしカッコ悪いし無知だし不器用。
それをわかってるからこそ、音楽を聴いて寂しさを紛らわしたり、カッコ良くなりたいが故にファッションを愛して、色々知る事が楽しいから本を読む。
最終的には、僕は僕だしこれでまぁ良いかみたいになってしまうのだけれど、この本を読んでる途中は背筋がヒンヤリとするような想いを何度かしたっけ。
もし僕がもっとタモさんみたいに世界と向き合えたなら、もっとマトモな答えでもって生きていけるのだろうけれど、まだまだ今の僕には無理。
ただまぁ、年齢を重ねるにつれて、自分に出来ない事やわからない事がはっきりしてくる分、自由になれるのは間違いないんだろうね。
希望が無ければ絶望が無いのと同じで。
無理にキャラを演じようとし過ぎたり、自分を大きく見せようとしたりするのは、何だか生き方が窮屈だしロックじゃない。
そんな事を考えながら、本を読み終えた。
ありがとうございました。