天正3(1575)年9月『駿河記』は、徳川家康の田中城攻めの際に砦(とりで)が築かれた「二つ山」として正泉寺背後の本宮山と北の五郎山(現在は消滅)を位置付けている。五郎山東丘陵の岩城山には、田中城に向けて三段の曲輪と土塁が残存し、往時を伝えている。
この岩城山は二つ山北砦跡として、Googleマップにも登録されている。【静岡県藤枝市青葉町1丁目17−11】
本曲輪
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240410/11/trekking-love/f5/9c/j/o0810108015423950963.jpg?caw=800)
岩城山古墳群跡と同一なのだろうか?
2の曲輪
(注)駿河記 三七巻 桑原藤泰編
文政元年に成立。
島田宿の素封家桑原藤泰の編による駿河国の地誌。文化九年駿府町奉行の服部貞勝は駿河国地誌の編纂を企図し、与力佐藤吉十郎をその掛に充て、藤泰は志太郡の撰者を命じられた。地誌編纂は服部が松前奉行に転出し、また編纂を委嘱されていた六人のうち四人が途中で死亡したために実現しなかった。藤泰はこの計画より前の文化六年から地誌の編纂を企てて志太・益頭・有渡三郡を巡村、文化一〇年・同一二年に安倍郡を巡村し、文政元年には庵原・富士・駿東の三郡を回って草稿を完成させた。費用が自腹のため、出版することができなかった。
平日だったので、JRのお得な切符は利用できなかったのは残念だが、豊橋からは名鉄1日フリー切符3400円を購入して利用した。
まずは駅メモ案件、名鉄河和線の新駅、加木屋中ノ池駅をゲット。
うん、下車しなくてよかった。地元の方には申し訳ないけど、僕的に行けそうな所が何もなさそう
河和線終点の河和駅で下車。徒歩11分で河和城址に到着。東側に並列五台停められそうな駐車場スペースあり。
説明板
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20240410/11/trekking-love/01/1d/j/o0810108015423951342.jpg?caw=800)
説明板写真に見える階段登って北西側に上記の主郭看板あり。
この北側直下に4郭と覚しき場所があり、土塁やら横堀の看板あるけれど、降りる場所がわからず断念しました。
階段に戻って降りて、北側から西にぐるっと道なりに回ると知多厚生病院があります。
城址北西部分は畑になっており、登ってみたけれど、主郭に行けるルートはよじ登らないとなさそう。
その後、西側、南側と周って、2郭らしきところは畑だった。
古地図では、3郭が馬出郭のようだけど、解らなかった。
城址公園整備されないかなぁ。
河和線沿線の中世城址を本当は巡りたかったけど、ここで携帯充電ぎれ。充電地を求めて、泣く泣く金山駅へ。
次は、名鉄鳴海駅下車。徒歩6分。