○中学三年生はおそらく夏休みを満喫している頃であろうが、半年後、人生の転機がやって来る。
○具体的に言うと、高校入試という転機がやって来る。
○実体験した立場で言うと、中学までの学校生活と、高校からの学校生活とは極めて大きな違いがある。
○具体的には、同級生と話が通じる。
○中学受験で中高一貫校に入ったならば話は別だが、公立小学校~公立中学校から高校に進学すると、中学までの学校生活はある程度の無理をしなければならないが、高校からは無理が少なくて済む。
○特に高校の選択肢が多く、結果として同じぐらいの偏差値の生徒が集まった高校となると、クラスで会話するのはだいたい同じぐらいの偏差値の者となる。
○すると、中学まではクラスの者と話をするときに相手に合わせた話の内容の調整が必要であったのが、高校からは相手に合わせなくても、自分のありのままを話をするだけで話が通用する。
○ただし、それまで広範であったクラス内の学力の幅が狭まるため、ちょっとしたことで成績順が上がったり下がったりするようになる。
○特にある程度の偏差値の高い高校だと、それまでクラスの中での優等生的立場であった者が集結するため、授業のレベルは高くなる。
○そして、授業について行けなくなる者も現れる。
○それでも、中学までの学校については特に思い入れなどない、さらには中学までのことなど脳裏に全く残っていなくても、高校からの学校となると思い入れが出てくる。
○具体的に言うと、同窓会の誘いがあったときに、中学までの学校の同窓会に行くのと、高校以上の学校の同窓会に行くのとでは、まず、場所のグレードが違う。
○そして、同級生の社会的地位も大きな違いを感じる。
○中学までの同窓会だと、中学卒業後の人生のあまりの違いに、話を合わせづらくなる。「今何やってるの」といったごく当たり前の話でも、どうしようも無い格差を感じてしまい、話そのものがしづらくなる。
○一方、高校以上の学校だと、今なにをやっているのかある程度情報が掴めているし、成年後の人生の歩みについても、だいたいが同じぐらいの人生に感じるので、話もスムーズに感じる。
○なお、文字通りの同窓会であるケースと、結果的に同窓会になってしまったケースとがあるので注意。
○どういうことかというと、同級生の葬儀に呼ばれ、焼香をしたのちに結果として同窓会となってしまうというケースを二度経験したことがある。明言はしなかったが、その同級生がどうして亡くなったのかは誰もが知っている。
○それは双方とも、2009年の政権交代から1年間のこと。倒産し、失業し、生活が成り立たなくなって自ら命を……、というものであったから。
○それ以外にも一回、同窓会とはならなかったものの同じ理由での葬儀に参列している。
○話がここまで流転したが、どうして我々世代が民主党政権を忌み嫌い、政権交代そのものに果てしない嫌悪感を示しているかは御理解いただけたはずである。