偉大なる皮肉・福本豊伝説編 | Short+α

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○昭和58(1983)年の今日、阪急ブレーブス(現オリックスバファローズ)の福本豊選手が通算939個目の盗塁を成功させ、当時の世界新記録を樹立した。

 

○現在でこそ大リーグのリッキー・ヘンダーソン選手に世界記録を破られたが、それまでは福本選手の達成した通算盗塁記録は前人未踏の大記録とされていた。

 

○ただ、福本豊氏はこのときの世界記録樹立に対して意外な反応を示している。当時の中曽根康弘首相から国民栄誉賞の打診を受けると、「そんなんもろたら立ちションもでけへんようになる」として拒否したのである。

 

○この言葉だけでも福本豊氏はただならぬところを感じさせる人であると実感できるが、福本氏の経歴を追いかけると、国民栄誉賞打診時の言葉など些事とするしかない伝説が次々と出てくる。

 

○社会人野球の松下電器野球部に所属していた福本氏。出勤すると会社の先輩がスポーツ新聞を読んでいるので「なんかおもろいこと載ってまっか?」と先輩に聞いたら、「おもろいことって、お前阪急に指名されとるがな」と言われ、ここではじめて阪急ブレーブスに指名されたことを知った。

 

○プロ入り前に既に結婚していた福本氏。ドラフト指名に応えて阪急に入団することを説明したが、奥さんは夫が松下電器から阪急に転職したと勘違いした。

 

○阪急で働いているはずの夫を探して阪急電車の駅に行くも、フクモトユタカなる名前の駅員はいないと言われた末、「もしかしたらあなたの探してる福本はブレーブスの福本では?」と新聞を見せられて初めてそこで夫が野球選手であることを知った。

 

○プロ入り二年目に1番センターのレギュラーを掴んだ福本氏。見事なまでに盗塁を積み重ねていくが徐々に盗塁失敗が増えていく。悩んだ福本氏は引退を覚悟し、せめて自分がプロ野球選手であったことを記録しておこうと友人に8ミリカメラで撮影してもらったところ、相手ピッチャーの癖を見つけて引退どころか盗塁を増やすきっかけになった。

 

○対戦相手は福本に盗塁させないためにどうすべきかを苦心するようになり、「塁を埋めればさすがに盗塁しないだろう」と、9番打者を敢えて出塁させて1番の福本選手と対戦することまで試みた。結果は、福本選手の長打によって失点。

 

○あまりにも盗塁数を積み重ねるのに業を煮やした南海ホークスの野村克也選手兼任監督は、南海の投手陣に対してクイックモーションを取り入れることにした。現在では当たり前のクイックモーションは福本対策として誕生した。

 

○それに対して福本氏は、「自分の盗塁記録は当時のレベルが今より低かったから出来た」「今のプロ野球はレベルが段違いに上だから昔ほど走れない」と明言している。

 

○盗塁の世界記録の更新した際に国民栄誉賞を辞退したが、もう一つ辞退したものがある。それが、特例での名球会入り。投手なら200勝、打者なら2000本安打を記録しないと入会できない。特例による名球会入りの打診があったが、福本氏はこの打診を断り、後に2000本安打を記録して特例ではなく通常の入会資格を獲得した後に入会している。

 

○福本氏と言えば盗塁が真っ先にイメージされるが、打者としても優秀で、通算208本塁打を記録している。近年でこそ長打のある1番打者は珍しくないが、当時としては画期的な記録である。ただし、本人は1番打者の役割は塁に出ることであるとしている。

 

○塁に出ることこそ1番打者に求められる資質であることの観念から、現役引退後の福本氏をコーチとして招き入れ、チームの盗塁数を増やそうと試みると、福本コーチから盗塁の練習ではなくバッティングの練習が課されることとなる。

 

 

 

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