偉大なる皮肉・二・二六事件編 | Short+α

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ラーメンの器に瀬戸物を採用することと、エジプト神話において太陽神ラーを守るのがセト神であることの関係性について

○昭和11(1936)年の今日、この国でクーデタ未遂事件が発生した。「二・二六事件」である。

 

○2月26日早朝、陸軍の皇道派の青年将校が中心となり、約1,483名の下士官・兵を率いてクーデタを決行した。以下にその時系列を記す。

 

○午前5時00分、陸軍大臣官邸襲撃。被害者無し。

 

○同時刻、警視庁襲撃。被害者無し。

 

○午前5時05分、大蔵大臣高橋是清邸襲撃。高橋是清大蔵大臣即死、警察官1名負傷。

 

○同時刻、内大臣斎藤実私邸襲撃。斎藤実内大臣即死、民間人1名死去。

 

○午前5時10分、首相官邸襲撃。秘書官1名、警護の警察官が4名、陸軍大佐1名が亡くなるものの岡田啓介首相は身を潜め被害を免れる。ただし、この時点で岡田首相死去との報道が流れている。

 

○同時刻、侍従長官邸襲撃。鈴木貫太郎侍従長、ならびに、警護の警察官2名が負傷。

 

○午前6時00分、教育総監私邸襲撃。渡辺錠太郎教育総監即死。

 

○午前6時35分、内務大臣官邸襲撃。被害者無し。

 

○その後もクーデタの軍勢は、東京朝日新聞社、日本電報通信社、報知新聞、国民新聞社、時事新報社といったメディアを襲撃。

 

○さらに9時30分頃には陸軍省並参謀本部を襲撃し、永田町一帯はクーデタの軍勢の支配下に置かれることとなった。

 

○ただし、クーデタの面々には全く想像だにせぬ現実が待っていた。クーデタの軍勢は、天皇の側に仕える君側の奸を撃つと考えていた。だが、昭和天皇は明白にこのときクーデタに対する反感を示していたとされている。第一報を受けたとき、昭和天皇はクーデタの軍勢に対し「賊軍」と呼んだともされている。

 

○午前中に陸軍大臣をはじめとする陸軍上層部が集結し、事態の沈静化に向けて動き出す。本質的には反乱軍であるがクーデタに打って出た青年将校らを支持する者もおり、この時点で陸軍上層部は明瞭な姿勢を示せていない。

 

○正午頃、消息が掴めていなかった岡田首相の生存確認の第一報が入る。ただし、この時点では未確認情報という扱いである。

 

○午後0時30分頃、陸軍大臣の名で告示が出された。以下にその内容を転記する。

一、蹶起󠄁ノ趣旨ニ就テハ天聽ニ達󠄁セラレアリ
二、諸󠄀子ノ眞意󠄁ハ國體顯現ノ至情󠄁ニ基クモノト認󠄁ム
三、國體ノ眞姿󠄁顯現ノ現況(弊󠄁風ヲモ含ム)ニ就テハ恐󠄁懼ニ堪ヘズ
四、各軍事參議官モ一致シテ右ノ趣旨ニヨリ邁進󠄁スルコトヲ申合セタリ
五、之以外ハ一ツニ大御心ニ俟ツ

 

○この不明瞭な内容に、陸軍上層部、クーデタの青年将校らの双方とも困惑する。

 

○午後3時頃、第一師管に戦時警備命令が出た。第一師管配下の第一師団は多くの青年将校の所属先でもある。

 

○ここでさらに問題が広がった。それも二点。一点は先に挙げた陸軍大臣告示の二点目。原文では「諸󠄀子ノ眞意󠄁ハ」となっている場所が、印刷されると「諸󠄀子ノ行動ハ」となってしまっており、陸軍としてクーデタを承認したかのような扱いになってしまった。

 

○もう一点は、庶民からの支持。第一師団のもとにはクーデタに参加しなかった軍人らが激励に訪れ、多くの民間人もクーデタを支持するまでになっていた。

 

○午後9時、この時点でも公式には岡田首相の消息は不明である。そのため後藤文夫内務大臣が首相臨時代理となって閣議を開催することとなった。この閣議で決まったのは、内閣総辞職である。ただし、その辞表は一時凍結となっている。

 

○並行してクーデタ地域に対する戒厳令が施行された。ただし、扱いは不明瞭である。クーデタに参加した青年将校らも戒厳司令部に加えるという話も飛び出ているほどである。

 

○2月27日午前中、クーデタの軍勢を取り込むか、反乱軍と扱うかで議論が割れていた。特に問題になったのが昭和天皇の怒りである。昭和天皇は断じてクーデタの青年将校らを許していなかった。

 

○午後1時過ぎ、消息不明であった岡田首相の身柄が確保され、前日の臨時閣議での辞表が白紙撤回されると同時に、内閣として正式にクーデタに対処することが公表された。

 

○2月28日午前0時、クーデタ参加者に対して正式に原隊復帰指令が出た。ただし、この時点で青年将校らは原隊復帰ではなく徹底抗戦を訴えていた。

 

○同日正午、青年将校らに対し陸軍上層部からこのままでは討伐部隊が派遣されることが告げられる。これで青年将校らは動揺を示すが、自決してでも目標達成を訴える者も登場しクーデタの白紙撤回とまでは進まず。

 

○同日夕刻、反乱部隊兵士の父兄ら数百人が集まり青年将校らに正式に抗議を伝える。青年将校らが下士官や兵士を率いてクーデタを起こしたのは事実であるが、下士官や兵士は上官の命令に従ったのみであり、クーデタそのものに同調しているわけではない。

 

○2月29日午前5時10分、討伐命令が下る。

 

○午前8時30分、攻撃開始命令が下り、近隣住人の待避がはじまる。

 

○午前8時55分、ラジオより勧告が放送される。

 

○合わせて、ビラが撒かれ、アドバルーンも掲げられた。これで反乱部隊の命運は決まった。

 

○午後2時、下士官と兵は原隊に復帰。クーデタを首謀した青年将校らは自決を図る者も現れたが、このあとの法廷闘争で自らの主張を訴えるべきとの意見も出たことで、ここで完全にクーデタは失敗に終わった。

 

○以上、簡潔に二・二六事件の時系列をまとめた。この事件のその後、この事件の与えた影響、その後の日本がどうなったか、それらは明日記す。

 

 

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