○2006年までは、ブログに興味を持っていたがやろうという意欲は無かった。
○2007年1月、特に深い考えのないままブログ「Short+α 」をはじめる。
○最初は日記ブログで、その日徳薙零己が何をしたとか、どんなことがあったのかを記すだけの何の面白みもないブログであった。
○ただ、その頃から時々、「偉大なる皮肉 」と「辞典 」を載せ始めるようになった。すると、その評価がついてきた。より正確に言うとそれしか評価がつかなかった。
○なので、それ以外の書き込みを全部捨てた。「偉大なる皮肉 」と「辞典 」だけに絞るようにした。
○ただ、徳薙零己はこれまでずっと作家になりたいという夢を持っていた。そして、書きためた小説があった。
○そこで、小説をブログにアップしようとしたのだが、この頃にはもう既に「Short+α 」がふざけたブログであるという評価で定まってしまっていたので、真面目な小説を載せるわけにはいかなくなった。
○そこで、「いささめ 」というもう一つのブログを始め、そちらに小説を載せるようになった。
○「いささめ 」の小説もどこにでもあるごく普通の小説だったのだが、歴史物を載せるとなんだか評判がついてきた。
○その評判がピークを迎えたというか、徹底的に叩かれたというか、さすがにシャレにならない事態に陥ったのが、連合赤軍事件を書いた「共喰 トモグイ 」。これがシャレにならないアクセス数を稼ぐと同時に荒れた。何しろ実体験した人がまだいるのだ。
○なので、今から一〇〇〇年前なら問題なかろうと、「左大臣時平 」を載せ始めた。そのときはまさか平安時代をメインフィールドにするようになるとは思っていなかった。
○平安時代は「左大臣時平 」だけにするつもりであったが、恋愛ものを書いてみたくなり、だったらせっかく学んだ平安時代にしてみようと「安殿親王と薬子 」を載せるようになった。
○ここまで来ると、否応なく平安時代全部を書かなければならないと思うようになった。ところが書けば書くほど平安時代がわからなくなる。特に、暮らしぶりがうまく説明できないというもどかしさを憶えるようになる。そのとき、「ヨシナガさん 」から「コミPo! 」を紹介され、「これだ!」と実感。平安時代を説明するマンガとして「京子先生の平安時代講座 」が誕生した。
○一度マンガに手を染めるようになると、表現方法も膨らんでくる。「Short+α 」に「四コマ 」を載せるようになると同時に、このプロフィール画像も誕生した。
○そして、「京子先生の平安時代講座 」の世界が進んでくると、京子先生が担任をするクラスのキャラクターが動いてくる。そのキャラクターを使ってプロジェクト・アマテラス で四コママンガを作ると評価されるようになり、現在では「電書カプセル 」で「E組日記 」を連載するまでになった。
○考えてみると、2007年のちょっとした思いつきがここまで来たんだなあ。
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