いささめ

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 わずか一年半である。

 たった一年半で、それまで一七〇年に渡って維持されてきた摂関政治は沈黙したのだ。議政官の面々を見ればたしかに藤原氏と源氏ばかりであり、藤原氏である関白もいる。その関白は、他ならぬ藤原道長の子で、藤原頼通の弟という、それまでの摂関政治であれば盤石な権力を伴う存在として君臨していたはずなのである。

 ところが、この一年半で、藤原摂関政治が形骸化してしまった。権力は後三条天皇に集中し、通常であれば関白が務めるはずの天皇の補佐役は一八歳の皇太子貞仁親王が担っている。摂関政治というものは、律令に定められた天皇の役職や皇太子の役職をそのままとしながらも形骸化させつつ、藤原北家の面々が皇室と結びつくことで権力を行使するという仕組みであった。それが、摂関政治のほうが形骸化したのだ。

 議政官は機能していた。議政官の議決が上奏され、議決に対して後三条天皇の御名御璽が加わることで日本国の法律となるという仕組みは変わっていない。変わったのは議政官の議決がかなりの割合で、いや、一〇〇パーセント、後三条天皇の意のままになったのだ。批判され続けてきた藤原摂関政治の終焉は、廃止でも、大変革でもなく、形骸化という形でここに実現したのである。

 ただ、それで庶民生活の向上は見られなかった。

 政治家としての評価は、庶民生活が向上するか否かだけで決まる。腐敗とか失言とかは政治家としての評価に全くつながらない。戦争に勝ったとしても庶民生活が悪化したらそれは政治家失格である。正義を実現させたと主張しようと、庶民生活の向上が見られなければそのような正義に価値など無い。

 この時点の日本国に起こっていたのは生産性の低下である。高生産性を追求して生まれた荘園という制度に制限を掛けることで生産性を低下させてしまったのだから当然の帰結である。ただし、それを後三条天皇は認めていない。気付いていないフリをし続けたか、それとも本当に気付かなかったのか、インフレについては認めていても、生産性の低下については認めなかったのである。どんなに悪評を受けることとなる政治家であろうと、あるいは、現時点で悪評を受けている政治家であろうと、自分の政治によって生産性が落ち、庶民生活が悪化したという事実は絶対に認めない。それは後三条天皇にも当てはまった。


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