こんにちは

いがらしゆみです

 

 

 

 

父が亡くなって1週間が経ちました

 

 

もう1週間

まだ1週間

けど、もっと経った気もするし

父がまだそこにいるような気もします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れないうちに…

というか、どなたかの参考になればと思い書いておこうと思います

 

それは「通夜・葬儀」のことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月19日(金)8:45

父が逝ったようだと母から電話を受けました

まだ医師の死亡確認を受ける前でした

 

 

 

その後、東京から名古屋の実家に着いたのは、恐らく12時30分を過ぎた頃だったと思います

 

 

 

 

 

 

実家に着いて、部屋へ入ると既に葬儀会社の担当者がいて、母と打合せをしているところでした

 

その時、わたしの目に飛び込んできたのは、既にベッドサイドに置かれたお線香などのお参り道具と白い布団が掛けられた父の姿でした

 

 

 

 

 

 

「待って、今朝それも数時間前なのにもう??」

 

数秒時が止まったように動けませんでした

こんな姿になってしまうなんて

 

頭では理解できても、気持ちは全くついてこない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

両親はある葬儀会社の互助会に入っていました

その会員特典を利用し、一切をその葬儀会社に依頼したので、その会社から担当者が早々に駆け付けて用意したと後で母から聞かされました

 

 

フリーズするわたしに母も「そう、わたしもこんなに早く?って思って…」と小声で言いながら戸惑っている様子でした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから打合せに参加し、祭壇のタイプは?供花のタイプは?食事(通夜振る舞いや精進落とし)はどうする?いつまでなら変更可能…などど、あれこれ決めていきました

 

 

 

 

そこ中一つ、担当者の言い方に不快感を感じて「それは、こちらから言うべきことで、あなたが言うことではない!」と言ったことがありました

 

 

 

 

「これは必要ないと思います」

 

 

 

 

祭壇のタイプを決める際に担当者が言ったことです

 

サイズ・お花のボリュームや種類などで費用が変わります

それはもちろん十分理解してますし、父の通夜葬儀は家族だけの小さなサイズでの式にする予定だったので、大きなものを選択しない意向ということは、担当者もわかっていたでしょう

 

ですが、その時一番心地よいことを重視して決めるので、気が変わることも十分ありますし、そもそも大きな祭壇を指し「これは必要ない」と判断し、言えるのは、葬儀会社の担当者ではなく、身内だろうと思うのです

 

 

 

 

 

 

即時訂正し謝罪があったので、そのまま打合せを続行し、決められることは決め、猶予があるもの、また不確定要素の項目は期限までに回答として打合せを終えました

 

 

 

ちなみに、担当者が到着後すぐに取りかかったという、父のベッドサイドに置いたお線香等や白いお布団などの用意は、打合せ後でもよかったのでは?と今でも思っています

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月20日(土)9:37

確認したいことがあり、担当者へ電話しようと名刺を見ると、携帯電話番号の記載はなかったので、会社へ電話

 

 

 

今時、担当の携帯電話番号がないなんて…

社用携帯電話が支給されていてもいいんじゃない?

むしろあった方が良い業種だと思うけど…

 

そんなことを思いながら、担当へ繋いでほしい旨を伝えると、電話受付の女性から担当者は休みだと告げられました

 

 

 

 

母と2人、固まる

 

父の通夜と葬儀どうなるの??

昨日の時点でお休みの予定って決まっていなかったの??

なぜ前日にそれを言わない??

 

いろいろ疑問で不安になる

 

 

 

 

10:45

湯灌の担当者が来たけれど、予定は11:00と聞かされていました

玄関に出て、「お約束は11時ではなかったですか?」と言った後、駐車場を使って良いかと尋ねられたので、使ってくださいとドアを閉めると、しばらく待っても入ってくる気配がない

 

 

車を入れられないのかと外へ出てみると、玄関先にいくつも荷物が積まれて置かれた状態で、誰もいない…

もちろん車も

 

 

 

 

 

 

道まで出て、きょろきょろしていると、ほどなく車が来て「向こうで待機していました」と…

 

唖然…

 

 

 

 

「先程、時間が早かったので待機してますとお伝えしたのですが…」

 

いや、聞こえてない

つか、荷物玄関先に下して??
 

 

 

 

 

 

んーーーと思いながら部屋へ戻ってくると、2人とも名前も名乗らず、挨拶もせずに荷物を部屋の中に運び込みはじめるので、わたしは見かねて止めました

 

 

「申し訳ないけど、先に挨拶しません?」

 

「荷物を運び終えてからご挨拶をさせていただこうと思っていました」

 

 

といって、「荷物を運び終えたので、改めて…」と正座して手を揃えて挨拶されたましたが、もちろん名前は名乗らず

もちろん、父にも手を合わせずはじめました

 

 

 

 

 

女性1人、男性1人

 

女性は表情もかたいまま、マニュアル通り?と思わせる棒読みの案内

「それでは、代表者の方から…」と、途中わたしと母に向かって湯灌の儀式?の一つに参加を促すけれど、それならはじめに流れの説明をしてほしいし、しかも2人だけなのに「代表者?」…と

 

母と顔を見合わせて、思わず口が出る

 

 

 

 

男性が謝り、そこから説明をはじめる

いやいや、いろいろとおかしいし、気になるんですけど…

 

 

 

 

 

 

 

 

そこから、きっとわたしたちは監視するような目で見ていたと思うし、やりずらかったと思うけれど、父の最期の時、見送るその時を納得できないまま、気になったままでは絶対に嫌だ!という気持ちで、細かいことをアレコレとリクエストし、できる限り希望に添うようにしてもらいました

 

 

 

 

一通り終え、片づけて帰る際にも男性の方は謝罪して行きました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

湯灌の方々が帰った後、母と2人で「最近は、個人情報云々で名乗らないのかもね」と話していましたが、世代・地域・企業・個人といろんな常識と思い込みがあるとはいえ、また企業のマニュアルがあるとはいえ、それを個がどう解釈し、どう対峙するかだと思うんです

 

仕事を見れば、その人の人間性や生き方も見えます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、引き継いだという担当者から電話が入り、訪ねてきました

 

 

 

 

まずは前日の担当者が休みと伝えていなかったこと、電話受付もわたしが電話をした時点では引継ぎが確定していたのに案内しなかったこと、さらに湯灌の担当からも報告があったようで、それらを謝罪され、指導する話をされました

 

 

話し方、姿勢にも人柄が現れると思いますが、前日の担当者よりはこちらの気持ち、意図を汲み取ろうとする姿勢を感じ、好感が持てました

 

 

 

 

 

 

 

7月21日(日)

札幌から伯父、叔母、従弟たちが駆けつけてくれました

 

みんなが担当者を取り囲み、最終の確認も含めた打合せをする中、北海道との違いを叔母や従弟たちは言い出します

みな北海道なので、わたしや母も身内の葬儀は北海道でしか経験がありません

 

 

地域の違いはあるだろうと、一昨年東京で従兄が亡くなった時のことを思っていましたが、この後にも続くトラブルを思うと、ここで得た大きな教訓は、その地域での作法や方法の違いを事前にしっかりと確認し、自分たちの認識と擦り合わせし、希望を伝えておくことでした

 

 

 

 

打合せでは伯父や従兄からの供花の注文もお願いしました

 

その際、既にWeb決済が済んでいる者を除いては、会場で精算の案内を依頼しました

わたしたちが請求をするのは避けたかったので、葬儀会社から促して精算を済ませてほしかったという意図です

 

 

 

 

 

 

ちなみに前日の夜、お風呂で思い付き、通夜の日だというのに、午前中急ごしらえで用意した写真と父が生前撮影し、飾っていた写真を会場内に飾りたいとメールで伝えていたので、その件いろいろと用意し叶えてくれることになりました

 

 

イーゼル4台を借りて父の撮影した写真を飾り、わたしが用意した写真は壁に傷をつけないように貼らせてもらうことにしました

 

 

 

 

余談ですが、従弟たちは写真を切ったり貼ったりするわたしに「そんなに貼るの?」と言って冷ややかに見てましたが、実際に会場内に貼ると「もっとあってもよかったね」と全く逆のことを言ってました笑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

18:00

通夜式開始

 

母と想定していた以上の参列者にお越しいただきました

また、ご参列くださった方々みなさん、受付前の壁に貼った写真に足を止めてみてくださいました

 

 

この夜は、特に気になることも問題もなく静かに終えることができました

(普通そうかw)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月22日(月)11:00

葬儀告別式開始

 

わたしたち2人だけかも知れないし…とお寺のご住職に二人葬をお願いしたのですが、よかったです

 

 

 

 

そして、会場のお花を参列者と一緒にほぼ全て棺に納め、またわたしが用意し壁に貼ってみていただいた写真も全て父に持たせることにしました

 

その旨を葬儀会社の担当者に尋ねると、「写真に写っている(生きてる)人を連れて行く」といういわれもあるので、避けることが一般的だそうですが、昔は写真に魂を抜かれると信じられていましたし、どうされるかは…とのことだったので、入れることにしました

 

古い言い伝えも大事にしますが、今は父に持たせたいという気持ちの方を優先したかったので全て納めました

 

この点はそれぞれの考え方や価値観での判断ですね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先頭:父を乗せた車に母と叔母A

①:わたしは自分でカーシェアの車を叔母Bを乗せて後を追い

②:従弟がレンタカーで伯父を乗せ

③:従兄夫婦が追ってくる

 

車4台で火葬場へ移動

 

 

 

 

 

さて、今回わたしが書き残そうと思った一番の出来事がこの後に起ります

というか、既に起っていたのですが、大問題として発覚することになるということです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

父が亡くなった日、葬儀会社の担当者とさまざまな内容を決めました

その内の一つに「骨壺」があります

 

わたしも母もカタログを見て、青い花模様の入ったものをお願いしました

当然、柄が異なるだけだと思ったので、少し柄が入った方がその後少しの間は自宅に置いておくので良いだろうと思ったのです

 

 

 

担当者からの説明は特になく、柄によって金額が異なる以上の話はありませんでした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜、葬儀の前後などの時間に、会場で親戚たちと「どうも小さいけど、これで入るんだろうか…」という話は何度か出ていました

 

北海道(札幌)での葬儀経験しかないわたしたち

骨壺に収骨するのは、全てのお骨が当たり前でした

また、お骨はお箸で拾えないくらい粉になってしまったものだけになるまで、身内で代わる代わる全て拾います

 

 

 

 

これまで見ていた骨壺と、父のためにに用意されたもののサイズの違いには気が付いており、「コレ全部入る?」は何度か話題にあがったのです

 

 

疑問に思ったその時に担当者に確認すればよかった!!!

 

 

 

 

 

 

 

案の定、火葬場で収骨の準備が整ったと案内された先には、三方に乗せられたいくつかのお骨だけ

 

後方には残されたたくさんお骨が台の上に置かれた状態で、収骨が進められそうになり、このままでは残ったお骨を持って帰れないかも!そう不安に思ったわたしは案内係の方に聞きました

 

 

 

 

 

 

 

 

「これはどうするんですか?」

「全部を入れるんですよね?」

 

 

「全骨希望というですか?」

「名古屋では一部収骨が当たり前なんで」

「ここでは用意されたものでしか対応できませんが」

 

 

「全骨??」

「どういうこと?何も聞いてないです!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたし、母、親戚、その場にいた全員が火葬場の案内係に向かって憤りのエネルギーをぶつけていたと思います

 

収骨は一旦中断

 

 

 

 

 

 

 

母が小さく「仕方ない…」と言い出したので、「諦められないでしょ!!!」と一喝

 

 

父の骨は絶対に全部持って帰る!!!

それ以外譲らない!!!

 

そう強く強く思ってました
 

 

 

 

 

 

 

 

火葬場の案内係の方から葬儀会社の担当者へ電話をしてもらい、わたしたちが何も説明を受けていないことと憤慨していることを伝えてもらいました

(特に叔母と従弟たちが強かった笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

案内係の方から、火葬場の売店で骨壺が販売されているので、全骨に変更してご案内しますと言われ、わたしは案内係の方に連れられて売店へ行き、これまで見慣れたサイズの骨壺を一つ購入しました

 

火葬場で骨壺って売ってるのね…と驚きましたが、この時は本当に助かりました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

札幌でのように、小さなカケラまで自分たちで拾うことは叶いませんでしたが、ほぼ全てを収めることができ、無事に父を連れて帰ることができました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「名古屋では一部収骨が当たり前」

 

後で聞いた話によると、愛知県でも地域によって「全収骨」をする地域と「部分収骨」をする地域があるそうで、名古屋では後者が一般的に行われているそうです

 

 

 

これまで、わたしも母も名古屋で友人知人のお通夜や葬儀に参列することはありましたが、火葬場まで行くことはありませんでした

 

なので、名古屋での「当たり前」を知らず、札幌での「当たり前」しか知りません

 

 

 

 

さまざまな生活様式に「地域差」があるのは知っていますが、何が違うのかまではわかりません

 

地域差の確認は是非しておいていただきたい内容です

 

 

 

 

もし、火葬場で骨壺が販売されていなかったら、父の骨は一部しか手元に残りませんでした

取返しはつきません

 

 

 

 

 

 

 

 

今この瞬間に居て、圧倒的に強く望んだからこそ、回避ルート(売店での購入)が示されたのだと思っているのですが、その前にメッセージは届いていたんですよね…

「小さくない?」って

 

 

はい、ごめんなさいスルーしてました

ちゃんと受け取っているのだから、素直に従うことです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

余談ですが、骨は先祖代々受け継がれたもの、知識経験などを含む多くのデータが刻み込まれたチップのようなものです

なので、一つの考え方かも知れませんが、遠方(外国や海・空)へ散骨したり、樹木の元に埋葬するのは個人的にもお薦めしません

 

 

 

 

 

 

 

 

 

火葬場での想定外の出来事により、予定より会場到着が遅れました

 

駐車場にわたしたちの車が入るや否や、入口で待っていたと思しき担当者がすっ飛んできました

まぁ、そうなるよね…と言いながら、母とわたし車を降り、担当者からの謝罪を受ける

 

 

けどね、あなたじゃなく初日の担当者なのよ…

しかも、おかしいなって話をしてたにも関わらず、確認しなかったわたしたちも悪いしね…

 

わたしと母はそう担当者に言いました

 

 

 

 

 

 

 

繰り上げの初七日法要、そして精進落としの振舞い

 

配膳の間合いも悪く、8名しかいないのにタイムラグ空きすぎ

しかも、わたしのお膳下げる時に礼服汚される…w

おしぼりを要求しても持ってくるのが遅く、こちらから取にいく始末

そもそも自分が汚した自覚がない笑

 

 

 

 

これは、「どれだけイライラしないでいられるかゲームなのか??」と思うほど、こんな感じで細かなことまでたくさんありました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やれやれと家に帰ると、仮祭壇を設えに来た担当者はロウソクとお線香を忘れたから取りに戻ると…

 

ちょうど遺影の額が落としてもぶつけてもないのに壊れたことがわかったので、一緒に持って帰ってもらい、取り替えを依頼しました

 

 

 

 

 

「いろいろあり過ぎてテンパって忘れちゃったんだろうねー」と、わたしは笑っていたのですが、従弟は「忘れ物取に戻る口実できたねー」と笑ってました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろあった通夜葬儀ですが、昨日母がふと「最初の担当者じゃなくてよかったね」と言いました

 

きっと父が「あいつには任せられん!」と担当を変えたのかも知れないと、わたしは勝手に思っています笑

 

 

生前もよくそんなことがありましたからね笑

気に入らないと看護師さん会社ごと交代させる、夜中でもヘルパーさん帰す…そんな父でしたから

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

というわけで、父の通夜と葬儀、火葬の際に起った出来事によって、今この瞬間に後悔したり悲しかったり、辛い思いは何一つありませんが、今後は気に留めておこうと思うことがたくさんありました

 

 

気持ち良くこの場に居ることに集中すること

メッセージはスルーしないこと

決してあきらめないこと

強く強く望むこと

今この瞬間に生きること

 

そして常に愛を感じること

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長々と書き連ねましたが、みなさんに伝えておきたかったことです

ホント結論「愛」の一言なんですけどねw

 

 

愛はエネルギー

愛は光

愛は世界

 

そして愛はわたし

 

 

 

 

 

 

大きな愛がいつもあなたに降り注いでいることを受け入れて受け取ってください

では、また

こんばんは

いがらしゆみです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024年7月19日

父は81年の生涯を終え旅立ちました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最期を見送るため実家で過ごす時間を増やしていたにも関わらず

もう少し大丈夫だろうと東京へ戻った矢先のことでした…

 

 

 


ずっと側にいた母もその時に気が付かないくらいとても静かに穏やかに

父は微笑みを浮かべているようでした








 

 

 

 

 

とても厳しくて礼儀礼節を大切にする人で
家の中では寡黙で怖いのに外では明るく朗らか

 


「ゆみちゃんのお父さんは明るくて優しくていいな」
友人にそう言われて

 

 

「全然だけど…」

と子どもの頃不満に思ってました

 

 

 

 

 

 

 

 

 




内と外の顔が全く違うとこ
好き嫌いが多くハッキリしてるとこ
曲がったことが大嫌いなとこ
知らない人にも注意しちゃうとこ
なかなか思いを言葉にできないとこ

 

 

 


…残念ながらわたしは父そっくりな娘に仕上がりました笑







 


ALSの診断を受けて丸3年
闘病生活を送る中、わたしの気持ちも父との距離も変わり、改めて父の思いや愛情を改めて感じることもでき、幸せな時間を過ごすことができました

 

 

 


 

 

少しでも父と一緒に過ごしたいとこの3年はそれまで以上に東京と名古屋を行き来し、実家で過ごす時間を持てました


これは周りの理解と協力なくしてはあり得ないことだったので、周りの方々に感謝しています

 

 

 

 

 

 

 

 


父はALSでしたが、高齢で複合的に病気を持っていたため、最期は身体の全ての機能が尽き、役目を終えて天寿を全うしたようでした
.
身体はなくなってしまい、父に会うことは叶わなくなりましたが、これからも父の愛を感じながら、わたしもわたし自身の人生を大切に生きたいと思います

 

 

 

 


 

 

 

お父さん、愛してるよ
ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

娘は幸せです

こんばんは

いがらしゆみです

 

 

 

 

 

 

 

 

昨年末ふと

小樽へ行こう!行かなきゃ!

(札幌メインだけどw)

 

と思い、半年も先の予定を決めました

 

 

 

 

 

 

 

小樽は父の生まれた町

そして、祖父母が眠るお寺がある町

 

 

お寺からの景色

山の上なので、海まで見渡せます

 

 

 

 

 

 

 

 

父のこともあり、どうしてもお参りに行きたかったんです

何年振りかに小樽へ行きました

 

祖父母と伯父もいるお寺

小さい頃から何度も来ているので

ここが父の故郷という感じ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

叔母たちと一緒にお参りして…

昔もお参り後にいったお店でごはんを食べて…

小樽のお菓子屋さん寄って…

 

ゆっくりした時間を過ごせました

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今は家族との時間優先の時

愛されて生まれ、育った記憶を思い出し、味わう時

愛の中にいたことを改めて感じる時

 

常に愛の中にいることを忘れているからこそ、与えられた時間なのかな

 

 

 

 

少し休んで愛をしっかり感じる

いつも愛の中

 

 

 

 

 

 

 

 

では、また