頑張ってね。と、
言われまくった、私。

生まれてから、ずっと。笑

その度に、言葉にならなくても
頑張ります!と言っていた、私。

いい子でいれば親が喜んでくれたから。

現に、頑張ってた。

昔からのやりとり。

頑張り屋の母に
頑張ることが美徳だった。

休む事に罪悪感を覚えた。

月日は経ち🌕


頑張って
頑張って

幸せや充実感を
感じられなくて

もう何を
「頑張ったら」いいのか
分からなくなった。


容赦なく浴びせられる
「ゆみちゃん、頑張ってね!」に
「何を頑張ればいいの、、、。」
と悲痛に想った時もある。

「頑張ってるね」と言ってほしいと。
分からなくなり、身体が動かなくなった。


もちろん、今となれば、
相手からの頑張ってね!は

意味のないものもあれば、
挨拶のようなものもあれば、
応援の気持ちを込めて言われているのもあれば、
その言葉しか知らず、
癖のように使い勝手が良いが為、
やたらと連発されてるのもあれば、、、

いろんな「頑張ってね」があるのは
頭ではわかる、、が、、、

わたしは「頑張ってね」と
言われるのが嫌いで、
反応するようになり、
「頑張ってね」アレルギーに
かかってしまった、、、。

自覚はできても、
アレルギーは反応だから、
自分ではどうしようもなかった💦 

29歳の頃。

頑張ってねに反応するアレルギー。


他人からの大事な人からのでも

全ての「頑張ってね」がこの世から
巷から、消滅すればいいとさえ
想っていた時もある。


頑張ってもうまくいかない
頑張っても報われない

そんな体験をたくさん
してるから だと思う

何のために頑張るのかが
明確でなかった。

いや、ずっと「親の喜びのため」
に頑張り、それが卒業、
アップデートされないままに、来た。

自分を大事にできなかった
自分を犠牲にしてきた怒りが
湧く時もあった、今も、ある、でる。

最近、頑張ってね!頑張ります!
のやりとりは、ほんとに減った。

頑張ろうが頑張るまいが、
そんな
自分のやる気や気持ちなんて
どうでもいい

そう言い放つ人に
出逢う🐼出逢ったから🐼

わたしは
幼少期からの頑張る症候に
嫌気が差し、

自分の好きなこと
やりたいことも分からなくなり、

そこに怒りと反発を覚え、

自分を大事にするのが分からないと、、。

自分のやる気とか気持ちを
大事にすることをした。

そのプロセスは尊いけれど

今度はそれが
自分のやる気とか気持ちを
大事にしすぎて

自分の気持ちや感覚を
「1番大事に生きている」

という状態をある意味
経験から育てた 作り上げた

悪いことではない
悪いことではない
良い面も沢山ある、、だけど

それでも今の状態に
「善き」とは思えない。

思えないのは、

仕事してる時。
うまくいかない時。
🐼さんと話してる時。

そのわたしでは「善き」🥰とは
ならない。

頑張ろうが頑張らまいが、
大事な人が喜ぶ行動やあり方をするか
どうかの方が大事。

頑張ろうが頑張らまいが、
目の前のお客様が喜ぶ行動やあり方をするか
どうかの方が大事。

フォーカス先が、
自分から、人に変わる。。。

昔はそんな生き方だった。
でも、やめたんだ。
やめた自覚もなく、やめたんだ。
頑張ることをやめた。

お客様の為に、相手の為にと、
毎日毎日必死で20代の
10年やってきて、尽くしすぎたのと
未熟だったから「大変」だったから。

母も「お客様は神様」と言う職場で働き、
そのやるせなさや愚痴や不満を、
わたしは聞かされエネルギーを感じて、
嫌に想っていたから、尚更、、だった。

最近は、客観的に少しは
見れるようになり、嫌な感情も
離れて観察や分析ができるようにはなり、

楽になった。

長くなりましたが💦

頑張ろうが
頑張らまいが
どっーーーーちゃでもいい。。。

大事なことは、

相手の言葉を大事にすること
相手に喜ばれるあり方や行動をすること

自分を大事にしてくれる
ひとからの言葉を

自分の中で、
大きな事にすること。

大きな事にすること。
=大事にすること🌸


今日は長くなりました😌


明日は短めなポップな記事、書きますね!笑

今日も皆さんが
健やかでありますように💖