kuさんの2017年の記事のリブログをしたものが、
目に入ったのですが、元記事はなくなってて。
だけど、今、目にした🥺
目の前で起こることをただ受け入れる。
最初のうちは、起こったことに、エゴが、あーでもない、こーでもないとジタバタしてたけど、ハイヤーセルフは、全て分かってて、人生の軌道修正をしてくれる。
こういう時って、協力者が現れて、目に見える人も目に見えない人も助けてくれてるってことを感じたのでした。
辛い時に、助けてくれた人たちには、本当に感謝しかなくて。
じーっと今までを振り返り、そして、今を受け入れていく。
自分を許すことは、自分の世界も許すことになる。
本当に、人生を変えるって決める時って、今までの自分を終わらせるっていう覚悟からしか行動できなかった。
怖くて、本当に怖いって口にしても、動かないより動いたことで、今のギフトがあったから。
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決心したんです。その人は・・・・・ 「自分はこうなる!!!」 「自分はこう変わる!!!」とか決心したときの自分の波動が本人が忘れた頃に本格的に動き出したのです。
ですから、本当に人生が変革するときというのは、死ぬ気の覚悟がある意味必要なのかもしれません。
自分もそうです。 何回死んでもおかしくないような、カルマの解放がありました。
でも、ジッと耐えてましたね。また、そういう時って、協力者が必ずいるんです。
逆に、いつもエゴの人生で困難ばかりの人は、自分の周りを利用者にしてます。
協力者を利用しているんです。 奪ってばかりです。 でも本人は気づいてません。笑
しっかり耐えて、解放できる人は、そういう協力者の事を絶対に忘れません。
ある意味その想いは、地球的には感謝という言葉かもしれません。
でも、それがあるから、潤いというか、潤沢というか、さわやかさが人生に吹いてくるのだと思います。
そして、ほんとうに人生が変わって来たとすると、どうなるのかというと、自分軸で生きられるようになるといいたいです。
自分軸というのは、いつも言うように、自分も愛せて、同時に他人も愛を与えられると言った感じです。
そうではなくて、道端の花がさいているのは、花は咲こうというエネルギーを花自身が自然と受け入れたのです。
どんなに風が吹いても、雨がつめたくても、花は花としてその運命を受け入れたわけです。
それは、花として生まれてきたカルマの解放の痛みとともに、自然の流れにさからわずに受け入れている姿があるわけです。
そして、外側から見れば、人から見れば、美しい花として、美しさ、愛を放ってます。
でも、本人のその花自身は、愛を与えているとは思っていないはずです。
そうなんですよね。 そのように、もの凄く、自然な姿で、愛を体現できるようになるために、自分たちもシフトしたいのかもしれません。笑