それを見るなり、栃木県や秋田県、北海道の友達は
「君は、この汽車へ乗り給え。僕等は、しかたないから日暮里迄 歩いて行くから」
と云うので
僕は、どこへ乗ろうかと探して 或る客車へ飛び乗ったが、中へ這入ることは出来ず
片手にバスケットを持って片手で掴まっているのでは、とても堪えられないからと思ったので
直ぐ飛び降りてしまった。
そして、プラットホームへ帰ってみると、もう友達は居なかった。
僕等を頼りにしていたらしい三十歳前後の婦人も見えなかった。
もう皆行ってしまったのかと思うや、田端迄でも行こうとして 僕は直ぐ歩み始めた。
新宿駅に汽車を待った避難民は、皆乗ることも出来ず、さりとて何時来るかもしれない
乗ることも出来ない汽車を待つ気にもなれず、
数知れない避難民は、鉄道伝いに引きもあえず、而(しかれど)も美もなく醜もなく力の限り歩いた。
僕も、その一人だった。
*
無論、話し相手は無い。
新宿の夜店に、島袋君と手を採った時とは 想像もつかない打って変わった有様だった。
太陽は容赦なく照りつけた。鉄路を辿って 若い男も女も傍見もふらず
欲も得もなく一生懸命に歩き続けた。
僕は、枕木を拾うて 大股に歩いたが、少し歩いて行くとバスケットを提げた手が疲れて来る。
薄く減った下駄が、ややもすると割れやしないかと気遣われたので
傍らの芝生に荷物を置き、単衣物を脱いで それを畳み
バスケットと一緒に背負った方が好いだろうと思ったので、三尺にハンケチをつないで
それで背負ってしまった。
誰が何う見ようが、そんな時ではなかった。又、誰も見る者もなかった。
それから下駄を脱いで手に持ち、コウモリをついて
今度は炎天に焼けた枕木の上を裸足で歩いた。
・・・両側には、崩壊した家屋が沢山あった。
続く
