関東大震災の記~vol.12・(注・かなりの直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

翌日4日の朝、また同じ様に ドンブリに盛って汁をかけた
いやらしい玄米のご飯をいただくと、
島袋君と 他の埼玉県だかの君と僕の三人で
又、焼け跡を見に出かけた。

ずうっと2日の日、帰りに通った四ツ谷から九段の方へ出て
神田の何町だかの青物市場の焼け跡で
地下室に残ったバナナを沢山貰い、充分食べた後残りを
丁度この辺で何かの宴会の帰りに、ご馳走を手拭いの端に包んで
提げて来るようにして、それを肩に擔(かつ)いだり
手にぶら下げて 上野の方へと向かった。

平常の豊麗さや、高雅な過去に引きかえて
あの焼け出された有様と云ったら

何という惨憺たるものだったろう。

美しい並木も それを前にして、甍(いらか)を競った金殿玉楼も
夢の様に灰と化して、漸くにして運び出した その荷物を
道の両側に重ねて、拾い集めた灰まみれのトタン板で
蔽ってあった。

そして、常には見る事も出来ない 哀れな風をした町人が
水を得ようとして、ビールの空き瓶を手にして
ポンプの周りへ集まって居た。

又、幼い子を背にした婦人が
「父さん!!」と云って
もう後の言葉もなく、メソメソ泣いていた。

広い広い町は、電車線まで潰れ込んで
その狭い所を 人通りは絶え間なく続いた。
上野公園の雑踏と云ったら、もう口にては云い尽くせない程だった。



僕らは、不忍(しのばず)の池に添って居る
電車道に近き坂道を登って行った。
避難民は、公園一帯を 埋め尽くしていた。

散り散りになってしまった家族を探そうとして
何町の何とか、紙に書いたものを
棒の先に付けて 声を限りに叫び歩いたりして

その落ち着かない ざわめきと云ったら
まるで蟻の巣を壊した様な、目も当てられない侘しさと心細さ
物憂さがあった。
そして、その中を何処とも構わずに歩き回って行く僕らにも
何かしら 落ち着かないものが、心に付き纏っていた。



次へ次へと歩いていくと、人が黒山の様に集まって居る所へ出た。
近づいてみると、そこには沢山の*鮮人が 警官に集められていた。
その*鮮人や、又時々お巡りさんから連れられて来た*鮮人は
大概、傷つけられて血まみれになっていた。

中には、もう倒れたなり身動きもせず打つ伏している者もあった。

それらの者は皆、細い縄に繋がれて
頻りと何処かへ貨物自動車で運ばれていた。

お巡りさんや兵隊さんは、頻りと群衆の近寄るのを制していた。
小さな子を背にして、困り抜いたように
「どうか、近寄らないで下さい!」
と、お願いする様に云っている 気の毒なお巡りさんも居た。

続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)