関東大震災の記~vol.13 | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

僕らは、あちらこちらと歩いて
動物園の入り口にかかった頃

思いがけなくも 雨が降り出してきたので
家へ帰ることにした。

雨具の用意がなかったので、冠っていた鳥打帽から
着物が じっくりと濡れ通ったのは気持ちが悪かった。

そして、

何処と云って 休む所も

雨を除ける所も無く

ガードの下に まごついたり

焼け残りの突っ立った壁の陰に立とうとしては


若しや


毎日、地震がよって居るのに

と思っては



休む気にもなれず
長い道を 歩いて新宿へ帰った。





その夜は、育英堂の階下に寝たが

あまりに不逞鮮人の暴行が おびただしいので

号順に二人宛 提灯を点け

一時間交代に、夜警に立つことになった。





5日に日、僕は 色々と考えたり

又、友達とも話をした。


僕は、

今 故郷へ帰るのは残念だ。

家へ帰って 僕は、何と言おう。

無断で家出した僕が どうして!

顔が上がらないではないか。

と、いろいろ考えた。



しかし、僕より久しく以前より来て

もう、すっかり ここに慣れてしまった友達でさえ帰るのだから

こんな、僅かばかり居た 僕が帰るのは悪くはないだろう。


だが、僕は ともすると

秋田方面へ行く友達と 一緒に仙台へでも行こうか

或いは、関西方面は行く友達と 大阪へ行こうかしら

とか 考えていた。


けれど、1日以来 銀行は動かないでいる。

家の旦那に云っても、マネーを出して呉れないから

又、一人として沢山のマネーを持っている者はない。

まして、僕の如きは ガマ口を開いて見ても

たった六銭の銅貨しかなかった。


友達が云うには、
「震災の為に、東京から出る者は ここ暫くの間、無賃で汽車に乗れる」
とのことだった。


で、もし 無賃で汽車には乗れて

仙台なり大阪なりへ行ったとして


それから向こう

どうしたらよかろう

僕は

どうしたら好いか

分からなかった。


東京市の殆どは 焼き尽くされ

目的の学校も焼けて、暫くの間は復活しない云うのだし

僕は

もうここで、故郷へ帰るより外に 道はなかった。


続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)