何か灰の中を探していた。
その傍には、
真っ黒になった、14~5才位の者の死体が
横たわっていた。
僕は、少し歩んで濠(ほり)に添って
垣を巡らして有る所に休んだ。
そこには、色々な缶の焦げたものや
菓子の焦げたものなどが一杯あった。
菓子屋の跡なんだろう。
山本君だかが、何か有りそうな
重そうに焦げた缶の一つを持ってきて
「おい、取って見ろ」
と、秋田県の一寸発音の違った言葉で云うので
中から取り出してみると、
有った有った
「おい、食べろ食べろ」と掴み出して
お腹の透いた所を幸いと、皆頬張って食べた。
木村君は、どうしたんだろうと思っていると
彼は、手拭いの端にナイフを一ぱい包んで持ってきた。
それを見ると、皆は欲しさに堪えられず
呉れ呉れと云ったが、
彼は
「行って見たまえ、まだ一ぱいあるよ」
と云うので、僕らは、
また引き返して木村君の探していた後へ行ってみた。
・
そこは、前の黒焦げの死体の有る所だった。
探してみると沢山あった。しかし焼けているんだから
使用に堪えるものは殆どなかった。
けれど、僕らは棒を持って 熱い灰をかき回して
漸く焼けていないヤツを見つけた。
こんなものを拾って、満足した僕らは
また歩みを続けた。
氷庫から氷を貰って、トタンの上に乗せて引いて行く者や
手拭いの端や空き缶に入れて持って行く者が 沢山有った。
その辺りで、木村君とはぐれてしまい
僕らは、四人で歩いた。
神保町を通ると沢山の学校があったという中で
唯、電気学校や僅かの学校が危うく残っているのみだった。
道の彼方此方に、少しばかりの荷物を守って
家もなき哀れな人達が
「明日、大阪から お米が沢山来るんだって云うよ!」
と、嬉しそうに 僕らに迄告げて
その食物を得られることを非常に喜んでいた。
・
僕らはそれから北へ歩んで交差点に出、
尚、西へ向かうと、
あの九段坂の下の橋が落っこちていて
唯 電車路のみがレールに繋がれてたるんで残っていた。
そして、その橋の所には
人が渡らないように巡査がついているにも拘わらず
隙を盗んで渡ろうとして叱られている者もあった。
皆の人は、川べりを歩いて
ずっと北に有る橋を渡った。僕らも矢張りそこを通った。
向こう側へ行くと、まだ石炭がどんどん燃えていて
歩いているのに顔が熱かった。
また、赤灰色に焼けた中には
そこ、ここと金庫のみが
ただ立って居る所もあった。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)
