関東大震災の記~vol.07 | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

その日からは、片方は町 片方は焼野で
燃え去りの 半ば潰れ込んだ、歩みにくい狭い道を
人通りは、かなり混雑した。

何処かの穀屋から 玄米が運ばれて
女中の としちゃんや北隣りのお嬢さんが
道の傍らに窯を据えてご飯を炊いた。

そして、随分と朝飯が遅かった。
もう それからは、玄米の二食で居ることになった。



ご飯が済むと、僕らは あまりに呑気な話だが
焼け跡の見物に行くことにして
北海道の木村君と 秋田県の山本君、沼里君、大阪の石川君
それと、僕の5人で出掛けた。

先ず、電車道を東へと歩きはじめた。
僕は ひと月以上も居たのだが
覚えようとしなかった為か、本当に町の名を知らなかった。

神田や千住やと行く時はあっても
一寸出かける時は、電車を利用するので
電車に任せて 覚える気がなかったのだ。

いや、そんなことは 永く居るうちには何時か
覚えられるのだろうと思って、更に無関心で居たのだ。

とにかく、僕らはズンズンと行って新宿1丁目を通り越し
四ツ谷の角まで行くと、左側が
何か壊れているとみえて、通れないので
ひと町除けて向こうへ出た。

そして、濠を越してまっすぐに行った。
その辺は、まだ盛んに燃えていた。

いくら進んで行ってみても、両側は焼野だった。



煙は道を遮って、僕らは息苦しかった。
所々に突っ立った倉庫の中が 真っ赤になっていて
赤黒い煙の出ているところもあった。

又、昨日までは こんな地震や火事があろうとは
夢にも思わないで楽しい生活をしていたのに
履きなれないワラジを履き
風呂敷包みを背負って
新宿の方へ避難する者は、数限りもなかった。



僕らは、どう歩いたか覚えていないが
警視庁だか何か大きな建物で
もう、中は皆壊れているという
そんな付近を通って、日比谷公園へ入った。

綺麗な公園も あの時ばかりは寂しいものだった。

とても広かった。

続く

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)
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