関東大震災の記~vol.06 | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

避難した所のすぐ傍らの
鉄で出来た 火の見やぐらに、怖ごわ上がってみると

暗い町を下の方に控えて、南東から北東にわたって
遠くの方は、まだ盛んに燃えていた。

午後半ば頃までは南風だったのが、
西風と変わって、火は益々燃え移るもののように
時々彼方此方に 炎は高く上がった。

遠く南の方には、横浜や品川だと云われる所が、

矢張り燃えていて

明るく見えていた。

少しの間、こうした惨憺(さんたん)な有様を見渡しては、
僕らは寒い様な心持ちになって、火の見やぐらから降りた。



「今晩は、皆ここに寝ているんだ」と言うので、
僕らは、柵を越えて 砂の上に布団を敷き
省線電車の鉄道を枕に、無論 着物を着たまま、足袋を履いたまま

よくよく疲れたものだから、ぐっすりと寝込んでしまった。

夜の間にも、地震は3~4回よって
一晩中眠られずに鉄道へ腰をおろして騒いでいるヒトもあったが
僕らは、よく眠っていて おぼろげにそれを聞いていた。



僕らは、案外平気だった。
親兄弟も(ここには)居らず、自分ひとりで
別に心配することもなかったので、逃れるだけ逃れようとした。
もう、そんな事は 地震が始まった時に覚悟していた。



その夜は、蚊やシラミに食われることもなく
至って快く眠って、明ければ9月の2日。

太陽は何を知る気配もなく 東天に昇った。

僕らは、また2回ほど火の見やぐらに上って四方を見回した。
火事後の余煙は、未だに収まらなかった。
遠く西の方を望んだ時、微かに山脈のあるのを見つけた。

僕は、東京へ来てよりその朝
初めて、山というものを遠くながら見たのだった。



それから僕らは、
持ちだされただけの荷物を、皆運び返してしまった。
地震は しばしばよって来るので、
その日は、誰も家の中に居る者はなかった。

淀屋の焼け跡のへんに、瓦や灰を片付けて
小さな小屋のようなものをこしらえていた。
そしてそこを借りの庵として、長い溜息をしていたんだろう。
淀屋の番頭や、甲陽館の女中が来て 何悲しい色もなく
焼け跡を探すこともあった。

あの、よしちゃんという表情に富んだ色の白い
しかも優しい草履屋の娘は、可哀想にも家が焼けて
何処に逃れて行ったのか 影も形も見えなかった。

別荘だなどと云った牛飯屋も焼けてしまったのだ。

また、力無げに上った余煙に覆われた空を
逸早く偵察に出かけた飛行機もあった。

続く

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)