食堂の南西より出た火災は
京王電車線追分け停留所両側から新宿車庫を焼き尽くし
夕方、炎は止んだ。
車庫の中の電車は、僅か2・3台
運転手や車掌やが 消化ポンプのホースをかけて引き出したのみ
他は皆、その中で焼いてしまった。
・
火の手が落ち着いてより、僕らはまた荷物を運び返さなくてはならなかった。
道一重を隔てて向こう側は焼けてしまった。
ああ、あの高野小間物店から
菓子屋、文房具屋、氷屋、八百屋、
甲陽館、淀屋、草履屋、キリスト伝道館、
尚、中に入っては あの
高島易断所など、皆焼けたのに、
ガソリンポンプと
浄水池から路面をホースで引いて来た消火栓とが働いたおかげで
僕らが居た所は、幸いにも火災を免れたのだった。
いや、七百七十幾戸も焼けてしまったのに
その傍らにあって焼けなかったのだから、
実際、僥幸(幸運)と云ってもいい位だった。
・
その日の午前まで永い間は、
草履屋や、淀屋、甲陽館の軒を眺めるのみだったのが、
もう、その夕方からは 甍(いらか)を争った楼屋(ろうや)が
ガッサリと灰褐色に潰れ込んで
見る目も哀れな一面の焼野と変わってしまった。
そして、
その上を燻れた煙が、何時迄も
未練がましく力無げに立ち上がっていた。
山のように積まれた石灰に火が点いて、空しく燃えている所もあった。
・
僕らは人混みを分けたり、
武蔵野館の前から半ば燃え残りの潰れ込んだ道を、急いで荷物を運び返した。
けれど、どうして運び尽くされようものか。
日が沈んでよりは、前夜まで不夜城のような市街が
時々走っていく、それも
常よりは物憂げに行く自動車の明かりが
サーチライトのように輝らされる他は、
所々に淋しく提灯(ちょうちん)が点けられるのみで
そうした闇の町に
ヒトのざわめきは何時迄も やまなかった。
本当に暗くなってよりは、僕らも荷物の運搬を止めるほかなかった。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)