関東大震災の記~vol.05 | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

$風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察-震災04


食堂の南西より出た火災は
京王電車線追分け停留所両側から新宿車庫を焼き尽くし
夕方、炎は止んだ。

車庫の中の電車は、僅か2・3台
運転手や車掌やが 消化ポンプのホースをかけて引き出したのみ

他は皆、その中で焼いてしまった。



火の手が落ち着いてより、僕らはまた荷物を運び返さなくてはならなかった。
道一重を隔てて向こう側は焼けてしまった。

ああ、あの高野小間物店から

菓子屋、文房具屋、氷屋、八百屋、

甲陽館、淀屋、草履屋、キリスト伝道館、

尚、中に入っては あの
高島易断所など、皆焼けたのに、

ガソリンポンプと
浄水池から路面をホースで引いて来た消火栓とが働いたおかげで
僕らが居た所は、幸いにも火災を免れたのだった。

いや、七百七十幾戸も焼けてしまったのに
その傍らにあって焼けなかったのだから、
実際、僥幸(幸運)と云ってもいい位だった。



その日の午前まで永い間は、
草履屋や、淀屋、甲陽館の軒を眺めるのみだったのが、
もう、その夕方からは 甍(いらか)を争った楼屋(ろうや)が
ガッサリと灰褐色に潰れ込んで

見る目も哀れな一面の焼野と変わってしまった。
そして、
その上を燻れた煙が、何時迄も
未練がましく力無げに立ち上がっていた。
山のように積まれた石灰に火が点いて、空しく燃えている所もあった。



僕らは人混みを分けたり、
武蔵野館の前から半ば燃え残りの潰れ込んだ道を、急いで荷物を運び返した。

けれど、どうして運び尽くされようものか。
日が沈んでよりは、前夜まで不夜城のような市街が
時々走っていく、それも
常よりは物憂げに行く自動車の明かりが
サーチライトのように輝らされる他は、
所々に淋しく提灯(ちょうちん)が点けられるのみで
そうした闇の町に
ヒトのざわめきは何時迄も やまなかった。

本当に暗くなってよりは、僕らも荷物の運搬を止めるほかなかった。

続く

(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)