関東大震災の記~vol.04・(少々直接的な表現が含まれます) | 風景回廊scenicGALLERY~独断と偏見による視覚的美意識の創造と考察

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低音に我が身ユダネル日々在りき(笑)
創作活動の記録
なんとなく のほほん・・て、感じッス。

家へ戻ると、旦那が、「もう とても駄目だろうから、必要なものを車に積んで
安全な所へ逃げるんだ」と言って、

最初、非常用の大きな袋を2つと 店員の荷物を積んで、
何処へ行っていいかわからないけれど
電車道へ出ると、あの人混みを割って西に向かい
市電の終点の向こうの省線と、ガードとの傍らの一寸したところに、
まあココならいいだろうと、荷物をおろした。

その時の旦那と奥さんの顔つきといったら、いったい何だったろう。

そこが安全地帯だと思っていても、上を見ると 電柱の腕木に
大きなトランスフォーマが倒れたのが危うく支えられて、
油が、霞の雨となって落ちていた。

新築中の新宿駅は、亀裂でいっぱいだった。
また、専売局工場の瓦は 全部落ちていた。



僕らは幾度も幾度も人混みの中を荷物を運んだ。
そして大概のものは 皆運んでしまったのだが、
僕は 車を使ってみたことがなかったので、非常に疲れた。
喉が乾いて井戸に行ってみても、水が濁っていて とても飲めなかった。
お腹が空いてもご飯はなかった。パンを買おうとしても それも無く
ビスケットとエンドウとを買って、皆で食べた。



明治銀行の西側のレンガ造りの家が潰れ、三人が その下敷きになったという。

その一人は、近所の娘さんであったが、通りかかったところをやられたとの事で

ぐったりとなった遺体が担ぎ出された。

その後、他の二人も ようやく崩壊したレンガの中から探し出されて
白布を覆って、担ぎだされていた。

また、あの角の武蔵野館は よく壊れなかったけれど
あの向かい側のコンクリート建ての 高野小間物屋の燃える時など、

窓から ノロノロと赤い焔を吐き出して、実際恐ろしかった。

あの家は、よく僕と島袋君とで 夜散歩に出ては
鏡で出来た柱を 覗いたことがあったのだった。



僕は、非常に疲れていた。
そして、あの山の様に積まれた荷物の間に仰向けに寝たりして 空を眺めた。

その時は もう晴れていたのだが、東と南の方角とに 綿を盛り上げた様な雲が、
天を覆うように 又、襲うかのように
凄い勢いで 巻き上がっていた。

後になってみると、
それが、

東京と横浜との火災の煙であることがわかったのだった。

続く


(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)

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