安全な所へ逃げるんだ」と言って、
最初、非常用の大きな袋を2つと 店員の荷物を積んで、
何処へ行っていいかわからないけれど
電車道へ出ると、あの人混みを割って西に向かい
市電の終点の向こうの省線と、ガードとの傍らの一寸したところに、
まあココならいいだろうと、荷物をおろした。
その時の旦那と奥さんの顔つきといったら、いったい何だったろう。
そこが安全地帯だと思っていても、上を見ると 電柱の腕木に
大きなトランスフォーマが倒れたのが危うく支えられて、
油が、霞の雨となって落ちていた。
新築中の新宿駅は、亀裂でいっぱいだった。
また、専売局工場の瓦は 全部落ちていた。
・
僕らは幾度も幾度も人混みの中を荷物を運んだ。
そして大概のものは 皆運んでしまったのだが、
僕は 車を使ってみたことがなかったので、非常に疲れた。
喉が乾いて井戸に行ってみても、水が濁っていて とても飲めなかった。
お腹が空いてもご飯はなかった。パンを買おうとしても それも無く
ビスケットとエンドウとを買って、皆で食べた。
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明治銀行の西側のレンガ造りの家が潰れ、三人が その下敷きになったという。
その一人は、近所の娘さんであったが、通りかかったところをやられたとの事で
ぐったりとなった遺体が担ぎ出された。
その後、他の二人も ようやく崩壊したレンガの中から探し出されて
白布を覆って、担ぎだされていた。
また、あの角の武蔵野館は よく壊れなかったけれど
あの向かい側のコンクリート建ての 高野小間物屋の燃える時など、
窓から ノロノロと赤い焔を吐き出して、実際恐ろしかった。
あの家は、よく僕と島袋君とで 夜散歩に出ては
鏡で出来た柱を 覗いたことがあったのだった。
・
僕は、非常に疲れていた。
そして、あの山の様に積まれた荷物の間に仰向けに寝たりして 空を眺めた。
その時は もう晴れていたのだが、東と南の方角とに 綿を盛り上げた様な雲が、
天を覆うように 又、襲うかのように
凄い勢いで 巻き上がっていた。
後になってみると、
それが、
東京と横浜との火災の煙であることがわかったのだった。
続く
(一部読みやすいように、加筆・文体の変更をしてあります。)
