中学生の頃は正直苦い思い出が、強い。

しかし、人間的に強くなれたなと思うのも、音楽に憧れを抱き始めるのもこの頃のお話。


「また野球やっても着いていけないよな。適当にバスケ部にでも入ればいっか。」


気付けば入部届をバスケ部に提出していた。

まあ、一度もバスケ部に参加せずに辞めたんだけどね

これにはちゃんと理由がある。


情けない話だが、友達の家からの帰り道、自転車で正面から来たお婆さんとぶつかりそうになり、それを避けた時にバランスを崩して右手首を複雑骨折した。

俺の中でこれは「ハリーポッター」って呼んでる。


そんくらいの衝撃だった。

そのせいで手首の負担が大きいバスケは出来なくなった。相変わらずなにもやる気のない俺。

「帰宅部で毎日遊んでれば良いや」

なんて思ったりもしてた。


そんな時母親からまさかの提案をされる。

YAMAHAの音楽教室にでも通ってみる?

頭を傾げる自分。

この時初めて両親共に音楽をやっていた事を知った。


ただ興味はかなりあったけど、首を縦には振らなかった。いや、振れなかったんだと思う。

心のどこかではまた野球がやりたい。

ただ親には中々言い出さなくてさ。


そんな時、親父が夜にお前野球やりなって言ってきた。この時は流石親父っ!とは思ったね笑



野球道具を新調して、胸を躍らせて野球部に行く。

手首は完全に治り、3年生が引退して、新チームの体制になる時同じ一年生の様にスタートを切れた。


そこで、見かけたのがブルペンでピッチング練習をしてた兄貴だったんだよね!!

やっぱり野球やってたんだ!って嬉しく思ったのを未だに覚えてる。


だって俺に野球を教えてくれたのは兄貴だったから。

小学1年生の頃、近所の公園で野球をしていた兄貴に声をかけて混ぜてもらったのが、俺が野球をやる始まりだった。




まあ、そんなこんなで、JAYの中学生活がスタートをするんだけど、2年生くらいから少し狂い始めてく。