20代の頃、背伸びした買い物をしていました。

お給料1ヶ月分のバッグや宝石、季節が変わるたび、新しい洋服。

たかーいお金を払って手に入れて、「もったいない」と大事に閉まっていたことも。。。

今思うと、「使ってこそ、生きるんだよ」と自分に言いたい。

使って、お手入れして、また使って
そしてお手入れする。

その繰り返しの中に、愛着や喜び、満足感がある。


ただクローゼットの中に仕舞い込んでいても、なんにもならない。



いま手にしているものを大事に使う。

大事にしまうではなく、大事に使う。
みんなが我慢やストレスを抱えて過ごしている今。

目を閉じて、少し考えてみる。


ライフラインが整っていること

衣食住に困っていないこと

働けること

当たり前になるまで、先人たちが積み上げてきてくれた。

両親、祖父母、私より上の世代が、必死に1日1日働いてきてくれたおかげで、今の豊かな環境がある。

この豊かさを、未来に繋げるか
使い果たしてしまうかは

私や私より若い世代次第。


こんばんは✨roseです。

日曜日いかがお過ごしでしょうか。

お休みだった今日は、朝からのんびり過ごしていました。

SNSを見たり、ステキな友人の休日の過ごし方を知っていると、自分は「ダメだ」と凹んだり、「もっと生産性上げる休日にしないと!」と力みがあったりしませんか?

私はいまだに瞬間的に思ってしまいます。

ただ、それを引きずることは無くなりました。


私が知っているのは、相手の一部分だけである。
自分の当たり前は、自分では認識しにくい。

この二つの考えを知ってからは、自分と人を比べる時間が減ったように思います。



「私が知っているのは、相手の一部分だけである」
ステキな友人がいます。
彼女は、母であり、妻であり、女性としての時間も充実している。
子育てしながら正社員として働き、お洒落なテーブルコーディネート、美しい部屋、美容も爪先までしっかりお手入れされています。

最初の頃は、そんな彼女と比べて、「私の毎日の過ごし方は甘い。もっと頑張ろう」と思っていました。

それはそれで、物事が片づいたりして良かったですが、自分の気持ちを無視した他人軸な時間の過ごし方でした。

あるとき、彼女も完璧じゃないと知りました。


仕事は時短で9時~17時ではなく、早く上がっていました。
家事は、家政婦さんを週に何回か雇っていました。
全部が全部を自分でやっていたわけではないと知りました。
彼女はスーパーウーマンではなかったのに、私が勝手に幻の彼女をイメージして、「自分もそうならなきゃ」と焦っていたのです。

見えていなかった相手の状況を知ることができたのは良かったなと思います。




「自分の当たり前は、自分では認識しにくい」

私が難なくこなしていること、つい大したことないと思いがちですが、それが苦手な方ややったことない方からすると、ハードルが高かったりする。
当たり前ができているのは、当たり前じゃない。
毎日の積み重ねだったり、過去の努力があっての当たり前なんだと意識するようにしています。


みんながそれぞれ、自分なりの過ごし方で良い1日が過ごせますように。