音楽を教えるってどういうことでしょう。理想形を出来るようにすることでしょうか。では、そのためにどんなやり方を使うのでしょう。どう伝えるのでしょうか。それによって変わってくることって、あると思うのです。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
とにかくこうする…
学校部活動って時間がないですよね。すると、特にコンクールが近くなってきたりすると…
「なんでもいいからとにかくこうするんだ」みたいな指導になってしまったりしませんか。
なぜ、そうするのか、
なにを表現したくてそうするのか、
どういう効果があるのか、
それってどういうことなのか、
そういうのを全部すっ飛ばして、「とにかく、こう!」になっていること…
たしかに、時間がありません。
いちいち伝えている時間なんてない、それもわかります。
ぼくも、そうです。
「ほんとはこれ、こんな話もしなきゃいけないんだけどな…」
って思いながら、全部すっ飛ばして、「ここはこうして…」って。
ありますよね。
調教?
でも、それが過ぎると『調教』になってしまうように思うのです。
調教された動物は、その動作をするようにはなるけれど、でも、
それがなにを意味するのか、それをすることでなにをもたらすのか、知らないですよね。
ただ、ご褒美がもらえる。だから、それをする。
「とにかく言う通りにしていれば金賞獲れるから」なんていう先生、いませんか。
(ぼくは言いませんけどね)
でも、なんだか似ていませんか、動物の調教と。
なんでもいいからとにかく言う通りにしていれば金賞、って、それってまるで…
言うことを聞いて言われた通りにしたらご褒美をあげるよ、みたいではないですか。
それって、教えているのではなくて『調教』ですよね。
手っ取り早いかもしれませんが…
音楽を教える
音楽を教えることってどういうことでしょうか。
「音楽って、教えるものじゃない」って教わったことがあって、
その言葉は、今も自分の中にあるのです…
少なくとも、そこには『理解』が必要ですよね。
なぜ、そうするのか。
そうすると、どうなるのか。
どういう効果をねらって、そうするのか。
理解できたり、腑に落ちたり、気づきがあったり、感じ取ったり…
そういうプロセスって、必要だと思うのです。
それがなかったら、単なる調教ですよね。
でも、それにはある程度の時間はかかる…
音楽するのって、時間がかかるのです。
教わる方も
また、逆に教わる方も、『調教』を求めているようなところ、ないでしょうか。
ただなんにも考えずに言われたとおりにしてさえいれば…
それって、ある意味、ラクなのです。教わる方にとっても。
考えたり、理解したり、感じ取ったり…
そういう一見めんどくさいプロセスを避けて、手っ取り早くラクなやり方を求める…
そういうところって、ないでしょうか。
また、その言葉だけを崇拝して、無思考に盲目的に受け取る態度、
そういうところも、あったりしないでしょうか。
でもそれって、成長につながるのでしょうか。
音楽的にも、人間的にも…
引き出す
では、音楽の指導とはどうあるべきなのでしようか。
感じ取って、考えて、反応する、そんなふうになったらいいですよね。
それぞれの中から、なにかが出てくるようであるべきだと思うのです。
つまりは、引き出す。
ても、それってやっぱり時間がかかるのですよね…
学校は部活動、特に中学校ではどこもそうなのでしょうけど、
そういうジレンマってあると思うのです。
調教か、音楽か。
とにかく出来るようになればそれでいいのか、それそとも、
それぞれの中からなにかが出てくるのか…
現実は理想通りにはいかない。でも、忘れないでおきたいところだと思うのです。
さて、みなさんの吹奏楽部はどちらですか。
