音楽理論とかメソッドとか、そういうものってなんだと思いますか。そのとおりにしていればうまくいくもの、でしょうか。決してこれ、なにかを為すためのマニュアルではないように思うのです。では、一体何でしょう?
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
音楽があって理論ができた
結論からいきます。当たり前のことですが…
まず音楽があって、それから理論ができたのです。
決して、先に理論があってそれによって音楽ができたのではないのです。
「この音楽はどうしてこういうふうに聞こえるのだろう…」
「この音楽のここで心が動かされるのはなぜなのだろう…」
そういうことを、のちに分析によって解き明かして体系化したもの、
それが、理論なのだと思うのです。
つまり、『分析』なのですね。
決して、『法律』ではないのです。
さらに、『ハウツー』でもないかもしれません。
理論通りに…
たとえば、音楽理論を熟知していれば作曲できるのか…
できませんよね。
どんなに理論に長けていても、それで作曲ができるわけではないのです。残念ながら…
音楽大学というところは古典和声や対位法は教えてくれますが、
ジャズ和声なんかは教えてはくれません。ヴォイシングとかね。
だから卒業してから自分で本を買ってきていろいろ勉強したのですが…
勉強して知識を得ると、それを使ってみたくなるものなのですよね。ところが…
そうやって『理屈』で書いたものって、これっぽっちも面白くないんですよ残念ながら。
さて、なぜだと思われますか。
どんな音?
理屈に振り回されて書いているからですね。
それはどんな音がするのか、それがいちばん大切なのに…
そこを忘れて、「理屈通りに書いたからいいだろう」と思っていたからです。
だから、ちっとも面白くもないし、かっこよくもない。
『こんな音がほしい、だから、こう書いてみよう』
これが、あるべき順番ですよね。
決して、『こんな理論がある、よし、使ってみよう』ではない。
『音』のイメージや引き出しがどれだけあるのかが大切なのです。
たとえば作曲は、自分の中にある音を外に出してやることなのです。
でもこれ、演奏でもおなじですよね。
「この練習をやっていれば上達できる」と盲信して、無思考にただ繰り返していること、
あるのではないでしょうか。
理論は
なら、たとえば音楽理論ってなんのためにあるのでしょうか。
まず、過去の音楽を分析したり理解したりするために、とても役に立ちます。
先人たちがなにをしてきたのか、それを体系立ててまとめたものが、理論です。
たとえばうまくいかないとき、たとえばおかしな音がするとき、それはなぜなのか、
理論がなかったら迷い道に入るか延々と時間がかかるか、どちらかでしょう。
理論があるから、
「このせいでうまくいかなかったんだな」とか、「この手を使ってみよう」とかできる。
そして決して理論って『守らなければならないルール』ではない…
理論を知ることで、理論を破る自由を得る(マイルス・デイヴィスが言っていましたよね)。
理論を知らずにそれをやったら、ただのデタラメです。
音の引き出し
音楽する上で、まずいちばん大切なことってなんでしょう。それはきっと…
『音の引き出し』を、どれだけ持っているのかではないでしょうか。
作曲にせよ演奏にせよ、音楽って、『自分の中にあるもの』が出てくるのです。
ないものは、決して出てはきません。どんなに技術があったとしても、ね。
これは合奏でもおなじです。
理論や技術はとても大切なものですが、それは言ってみれば、
『自分の中にある音』を外に出してやるための杖だと思うのです。
杖は役に立ちますが、それ以前にまず、自分の中に音がなければいけません。だから、
いろいろな音楽にたくさん触れて、音の引き出しを増やすこと、
これがやっぱり大切なのだと思うのです。
さて、引き出し、どれだけ持っていますか。
