月は最古の寺院 | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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今月は久しぶりに先日、坂祝のお寺に座禅会に行ってきたのでした。タイトルはそのときに教えていただいた今月の言葉です。さて、みなさんどういう意味だと思われますか。これ、いろいろなことに言えると思うのです。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

月は最古の寺院 

 

人類が生まれる前から、月は夜空にあった。
人間は太古の昔から、月を見上げていた。
ときには祈り、ときには思いに耽り、ときには季節を感じたり時を測ったり…
いろいろな思いで、月を見上げてきた。
祈りの対象になることもあるので、すなわち月は人類最古の寺院と言えるのではないか…
そういう意味なのだそうです。
でも月はただ、地球からいちばん近いひとつの天体に過ぎない。
祈りの対象になったり、そこからいろいろなことを思ったり感じたり…
それは、月にではなくて、月を見上げる人間の中にあるもの。
心だったり思いだったり、ときには信仰だったり…
そしてお寺というのも、お寺になにかがあるのではなくて、
そこを訪れる人間ひとりひとりの心にこそ、なにかがあるのではないか…
そういう意味なのですね。
 

 

感じる心 

 

これって、もしかしたら音楽もそうなのではないかと思うのです。
音楽というのはなにか…
いろいろな高さやいろいろな色合いの音が紡ぎ重ねられたもの、ですよね。
そこには高度な技法や感性があるにせよ、分析してみれば、音を重ねたり並べたりしたもの。
そこからいろいろなことを感じたり心動かされたりするのは、じつは、
それを聴く人ひとりひとりの心の中にあるものが、そうさせているのではないか…
そんなふうには言えないでしょうか。
もちろん音楽を書いたり紡いだりする人は、なにかの意図や感性をもっておこなうわけですが…
でも、それを受け取る人がまったく意図通りに受け取るとは限らないし、
また、そうでなければならないわけでもない。
正解はない、そんなふうに思うのです。
 

 

正解を求める 

 

ところが、音楽を学問にしてしまうと…
ともすると正解を求めたがることってないでしょうか。
もちろん和声や対位法には禁則があるし、いろいろな決まりがあります。
でも、そういうことではなくて…
「この曲を聴いたらこんなふうに感じなければならない」とか、
「こんな演奏を聴いたらこう感じるのが普通である」とか、
「この音楽を聴いてどんなふうに感じるのが正解なんだろうか」とか…
そんなものは、ないと思うのです。
みなさんはありませんでしたか、音楽の授業の鑑賞の時間に感想を書かされて、
さてどんなふうに感じるのが正解なんだろう、って考えたこと…
正解なんかない。
自分がどう感じたのかが、自分にとっては正解なんです。
そしてそれは、人と同じであるとは全然限らないし、また、その必要もない。
 

 

世の中のあらゆることは 

 

いや、月や寺院や音楽に限らず、世の中のあらゆることって…
そのそれぞれは、ただそこにあるだけで、
それに対してそれぞれの人間が、いろいろなことを感じているのではないか…
たとえば、赤という色があります。
そこからなにを感じるか、どんなふうに思うのかは、人それぞれ。
きっと同じではないし、正解もない。
毎日生きていると、自分のまわりでいろいろなことが起こりますよね。
そしていろいろな人があらわれます。
そのそれぞれは、ただ事実としてそこにあるだけ。
それに対してなにを思ってどう感じるのかを決めているのは、自分の心…
そんなふうには言えないでしょうか。
どう思われますか。
でもね…
 

 

心がラクに 

 

そんなふうに思ったら、ちょっとラクになりませんか。
いろんなことがあって、それに対して感じていること…
笑ったり、怒ったり、ときには泣いたり…
そういう感情って、その対象がもたらすのではなくて、自分自身の心がそうさせているんだ、
そんなふうに思ったら、なんだか落ち着いたりラクになったりしませんか。
たとえば同じ出来事が起こっても、それに対して感じる思いは、きっと人それぞれ違う。
それは、それぞれひとりひとりの心が、そうさせているから。
自分の心の仕業。自分が選んだもの。

なんだかこのところあくせくしていて、座禅を組んでいても雑念ばかりだったのですが…
でも、そんな考え方を得られたのはよかったのかな、と思ったのでした。

さて、みなさんはきょうはどんなことがありましたか。それに対してなにを感じましたか。