教えるものではなく… | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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指導、教育ってなんでしょうか。この前『観察なくして指導なし』という記事の中でちょっとだけ書きました。与え、働きかけて、望ましい形にすることが、指導、教育なのでしょうか。さて、みなさんどう思われますか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  福沢諭吉

 

みなさん福沢諭吉をご存じですよね。
お財布の中に1万円札はありますか。その肖像は諭吉先生ですよね。
『学問のススメ』を書いた人、慶應義塾をつくった人です。
その人が、明治22年、文明教育論という本の中で、こんなことを書いておられます。

学校は人に物を教うる所にあらず、ただその天資の発達を妨げずしてよくこれを発育するための具なり。教育の文字ははなはだ穏当ならず、よろしくこれを発育と称すべきなり。かくの如く学校の本旨はいわゆる教育にあらずして、能力の発育にあり……。我が国教育の仕組はまったくこの旨に違えりといわざるをえず。

痛烈に批判していますよね…
 

 

  教えること

 

教えるということはどういうことなのでしょうか。
なにかを伝え、与え、働きかけて、望む形にすること?
望む形って、なんでしょうか。
誰が望む、形なのでしょうか。
教える側が、望む形なのかな…
それってでも、どうなんでしょう。教え、育てたと言えるの?
ましてや、『同じ形にそろえること』だって思っている人もいましたよ。
それが、教育なのでしょうか。うーん…
諭吉先生の言葉をよーく噛みしめた方がいいとは思われませんか。
 

 

  教えるものじゃないのよ

 

ぼくはじつは教員免許を持っています(知ってました?)。
そりゃあ大学を出たのだから持ってて当たり前じゃん、って?
大学を出るだけでもらえるものでもないんですよ教員免許って…
教職課程の単位をちゃんと取って、教育実習にも行かなければもらえないのです。
じつは大学3年で単位を落としまくって、4年の時には週に23時限も授業があったのです。
それで教職も取って4年で無事に卒業出来たので、『名芸の奇跡』って言われましたよ。
そんなことはどうでもいい!
教育実習です。高校に行きました。
指導教官の先生に最初に言われた言葉、今も忘れません。

音楽って、教えるものじゃないのよ。

じゃあどういうものなのか、実習期間中に考えてみなさい。

 

 

  どういうものなのか

 

教えるものじゃない、なら、どういうものなのか…
みなさんはわかりますか。
ぼくは、未だに考え続けているのかもしれません…
気づかせるもの、引き出すもの、掘り起こすもの、なのかもしれません。
少なくともそれは、「こうしなさい」と命令してさせるもの、ではなさそうです。
みんな無理矢理おんなじ形にそろえるもの、でもなさそうですよね。
でもこれって、音楽に限った話ではないのかもしれません…
 

 

  Education

 

先日の記事にも少し書きましたが…
『教育』は英語で『Education』。
英語のEducationには、『引き出す』とか『開発する』という意味があります。
これってまさに、諭吉先生が言われたことそのものだとは思われませんか!
欧米では教育って、引き出し開発するものなのです。
日本人だけですよ、与えて望む形にすることだなんて思っているの…
諭吉先生が135年前に言われたこと、今、よく考えてみる必要があるのではないでしょうか。
それが、日本が国際社会で取り残されないための道、なのかもしれませんよ。

さて、みなさんは教えることってどういうことだと思われますか。