誰かになにかを教えるとき、たとえば楽器や音楽を教えるとき、生徒さんになにを、どんなことを伝えますか。どんなことがあるのでしょうか。どんなことを伝えるのが、より効果的なのでしょうか。少し考えてみました。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
指導と指摘
以前、こんな記事を書きました…
『指導』と『指摘』の違いを考えるなかで、効果的な導きとはなにかを考えてみた記事。
トランペット奏者の荻原明さんの記事に触発されて書いた記事です。
さて、きょうは、伝える内容、どんなことを伝えるのが効果的なのかを考えてみました。
責めること
指導の現場で、ときどき見られること…
- 「どうして出来ないの!」
- 「何度言ったらわかるの!」
- 「そんな音を外すんじゃないよ!」
- 「こんなことも出来ないんじゃダメじゃん!」
- 「そんなんじゃあ金賞なんか獲れないよ!」
出来ないことを責める指導、精神的に追い込んで、やらせる指導…
さて、これ、効果的だと思われますか。
これでは萎縮やトラウマを生むだけだと思うのです。
もし、こういう指導が効果的だというのなら、それはきっと甘えでしかないように思います。
教える方も、教わる方も。
気づいていること、わかっていること
本人があきらかにわかっていること、気づいていること、たとえば…
- 音が外れる
- 音が出ない
- 指が回らない
これ、やっている本人にもきっとわかっていることですよね。
それをわざわざ、「音外れたよ」、「音出てないね」、「指が回らないね」…
そんなふうに指摘することに、なにか意味があるのでしょうか。さらに…
「外さないで!」、「ちゃんと音出して!」、「指ちゃんと回して!」…
これでは教わる方は「言われなくてもわかってるよ!」って言いたくなるでしょうね。
余計な指摘、ただプレッシャーになるだけ、精神衛生上もマイナスです。
気づいていないこと
それでは、本人が気づいていないこと、わかっていないことを指摘するのはどうでしょうか。
- 「そのフレーズがちょっと遅れているよ」
- 「そのFの音が少し高いよね」
それによって本人が『気づけば』、意味がある指摘になるでしょう。でも…
それによってどういうふうに『気づいた』のかが問題ですよね。
- 『遅れているのか、そう言われるからきっとそうなのかな…』
- 『たしかに少し遅いかもしれない…』
- 『えっ、遅いの?ほんとうに?』
- 『遅いのか、遅れないようにしないと…』
- 『ほんとうだ、遅れているや…』
いろいろありますよね。
どんなふうに気づいたのか、理解した(だけな)のか、腑に落ちたのか、思い込んだのか…
それによって、その後の結果は大きく変わってきます。
思っていること、意識していること
演奏が良くも悪くもそういうふうになっている裏には、どういう思考、どんな意識があるのか…
- 「今、きっとこんなふうに意識しているよね」
- 「もしかしたら、こんなふうに思っていない?」
その上で、その意識を、
- 「やめてみようか」
- 「それよりも、こう思ってやってみたらどうだろう」
という指導。
演奏の裏側にある心理にアプローチする指導ですね。
表面だけを見る(聞く)のではなく、もっと深い観察があって初めて出来る指導です。
これ、的に当たれば効果的な指導だと思うのです。
気づき、発見
- 本人の気づきを促す指導
- 生徒の中から発掘する指導
- 持っているものを掘り起こす指導
これ、うまくいけば効果的だと思うのです。
「今、こう考えているよね、それはなぜだろう」
というふうに、掘り下げていく。
「ここはこんなやり方やこんなふうにする方法もあるけど、自分の好きなやり方でやってみて」
これまで意識を向けていなかったことに光を当ててみる。
そのほかにもいろいろあると思います。
これ、思考や意識にアプローチする指導よりさらに、深い観察が必要かもしれません。
でも、これもうまくいけば効果的ですよね。
生徒はすでに持っている。それを、掘り起こす…
さて、あなたはどんな導きが効果的だと思われますか。