つぶれるということ | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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あるとき調子を崩して楽器が演奏できなくなってしまうことを、つぶれるなんて言いますね。このことについては以前も記事に書いたのですが、きょうはその記事では書かなかったことをいくつか書いてみたいと思います。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  つぶれるということ

 

以前に書いた記事はこちらです。

 


2年半ほども前の記事ですね。
ここに書いたことも、ほんとうにこの通りだと思うのです。
なのできょうは、この記事では書かなかったこと、
捉え方や考え方というような側面から、補足的に少しだけ書いてみます。

 

 

  どんな演奏が出来るのか

 

楽器って、調子のいいときも調子に乗ってたくさん練習したくなったりしますよね。
でも、調子の悪いときも、焦ってあがいてたくさん練習しがちかもしれません。
それが続くと、ときに『練習すること』が目的になってしまうこともあるように思うのです。
これだけ練習したんだから実になっているはずだ
こんなに練習したんだから明日はなにかが見えてくるはずだ
これだけがんばったのだから…
でもこれ、関係ありません。
どんな練習を、どんなにしようとも、あるいは、全然練習なんかしなくったって、
どんな演奏が出来るのか、が、すべてなのですよね。
練習しないでうまく出来たら、それが最高ですよね。ありえませんが…
 

 

  つぶれたくてつぶれる人間はいない

 

ひとつ、言えることがあります。
つぶれたくてつぶれる人間はいないということ。
出来なくなろうと思って出来なくなる人間はいないのです。
下手に演奏しようと思って、下手になりたくてなる人間なんかいない。
うまく演奏したい。あたりまえのことです。
でも、ある時どうしても、それが出来なくなることがある。
決してそれは、望んだことなんかではないのです。
あたりまえのことかもしれませんが…
 

 

  あきらめない自由

 

どうしてもうまく演奏できなくなって、どうにもならなくてやめてしまう人もいる。
あきらめて方向転換する人もいます。
それも、その人の自由。でも、
どんなにうまくいかなくなってどうにもならなくても、あきらめずにやり続ける人もいる。
それもまた、その人の自由。
いいとか悪いとかではなく、また、誰かが判断したり評価したりすることでもなく、
その人の自由なのです。
そしてその、うまくいかなくなってしまった人に対して、その現象だけを指摘することは、
なんのプラスにもならないどころかマイナスでしかない。
前向きなアドバイスこそプラスになるように思うのです。それを本人が望んでいれば、ですが…
 

 

  人としての価値が

 

楽器がどれだけうまく演奏できるのかで人間の価値が決まる…
そんなふうにどこかで思っている人間もいます。
上手くない人間は根性が足りないんだ、努力していないからだ…
どこかでそんなふうに思っている人間も、たくさんいます。
でもそれ、違いますよね。
楽器がどれだけうまく演奏できるかで人間の価値が決まるわけではないし、
もちろん上下関係が決まるわけでもないし、
下手くそだからといって努力や根性が足りないとは限らない。
(やり方が違っている可能性はあっても…)
当たり前のことなのですが、つい忘れられがちなことでもあるように思うのです。

でも今、その当たり前のことを人々から忘れさせがちな世の中であるようにも思うのです。

さて、みなさんはどう思われますか。