息は肺に入る?それともおなか? | フクロウのひとりごと

フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
おもに吹奏楽の活動に役立つ情報を発信中!
バンド指導をご希望の方はお気軽にご連絡ください。

管楽器の奏法って、いろいろな情報が飛び交っていて、情報過多ではないかとも思えます。さらに、

正反対の内容があったり、言葉だけが一人歩きをしていたり、むしろ難しい状況にも思えるのです。

 

こんばんは。

トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 

 

 

  管楽器奏法の謎いろいろ

 

管楽器について、呼吸や、身体の使い方、アンブシュアやその他の奏法、

いろいろな情報が飛び交っていますし、なかには正反対のことがあったりもします。

それらって、どちらかが間違っているとかいう単純な問題ではないように思うのです。

そして奏法って、単純な言葉だけで伝えられるような簡単なものではないとも思います。

きょうは、そういう『反対の言い回し』について、その意図の一側面を考えてみたいと思います。

 

 

  息は肺に入るのか

 

「息は肺に入る、おなかには入らない」

「息はおなかに入れなさい」

この両方、未だに聞きます。また、

「胸は動いていい」と、「胸は動かしてはいけない」も聞きますね。

これ、どちらかが間違い、なのでしょうか。

以前はそんな短絡的な捉え方をしていたこともありましたが、

これ、そう単純な問題ではないように思うのです。

 

 

  おなかに息が入るというのは…

 

みなさん当然ご存知のように、解剖学的には、おなかに息は入りません。息は肺に入ります。

これは事実です。

事実を正確に捉える、これも、とても有益なことです(正確なマッピング)。

では、「おなかに息を…」という人の、その意味って何でしょうか。

 

丹田』っていう言葉、聞いたことありませんか。

ヘソ下三寸(約9cm)、下腹部の中にあり、人間の力の源といわれるところです。

そこに、エネルギーがたまっていくようなイメージで、息を吸う。

『おなかに息を吸う』のひとつの側面は、そういうことなのではないかな、と思うのです。

 

 

  息は肺に入るのですが…

 

『息は肺に入ります』、『胸は動いていい』

これも正しいし、有益です。でも…

この言葉によって、もしもおなかがお留守になったとしたら…

息を吐くとき、音を出すときに、うまくいかなくなってしまうかもしれません。

 

おなかに息を吸うのではないです。

おなかに力を入れるのでもない。

おなかにエネルギーがたまっていく、もう少し解剖学的?に言うのなら、きっと、

横隔膜が下がって内臓、おなかを押している、ということなのだと思います。

息は肺に入るのですが、それを変に意識するあまり、

胸郭が浮いてしまっておなかがお留守になるのはよくないと思うのです。

でも、呼気に移る瞬間にそこをうまくコントロールしている人もいるかもしれません。

 

 

  マウスピースの圧力は少ない方がいいのか

 

ここからは金管楽器のお話になるのですが…

「マウスピースはくちびるに押しつけていい(密着させるべき)」

「マウスピースの圧力は1グラムでも少ない方がいい」

さて、どちらが正解?

どちらにも、理があるように思うのです。

 

マウスピースとくちびるの密着が大切なのはわかります。

でも、圧力は少ない方が、そういう(くちびるに頼らない)奏法のほうが、耐久力に勝る、

これもまた、事実だと思うのです。そして、

適正なマウスピースの圧力って、意識しなくても自然に決まるようにも思うのですよね…

ただ、ひとつの練習として、ノンプレス奏法をやってみるのも有益なのかもしれません。

マウスピースの圧力が足りなくてうまくいっていない人もいるかもしれない、一方で、

マウスピースの圧力が強すぎて(耐久力に限らず)うまくいっていない人もいるかもしれない…

 

 

  上下の歯はそろっていたほうがいいのか

 

金管楽器を吹くときに、上下の歯、これ、そろって(向き合って)いたほうがいいのか…

これも、両方の意見がありますね。

向き合っていることでうまくいく人もいるかもしれない、でも、

向き合っていなくてうまくいく人も、いるかもしれない。

ぼくは、少しアゴを前に出していると思います。向き合うほどかどうかはわかりませんが…

また、楽器、マウスピースのサイズによっても違うように思うのです。

リムが乗るところ、つまり、トランペットやホルンなら前歯が関係するかもしれないし、

トロンボーンやテューバなら、犬歯のあたりの位置関係のほうが関係あるかもしれない…

そろっていてうまくいく人、そろっていなくてうまくいく人、どちらもあるように思うのです。

誰かにとっては、ヒントになるのかもしれない、ということだと思うのです。

 

 

  短絡的な捉え方は危険

 

どれが正解、どれが間違い…

なにしろ、そんな単純な話でもない。

それが言われるのには、なにかの理由、意図がある。

そして、正解は、ひとつしかないわけでもない。

ましてや、単純な簡単な言葉だけで、奏法が伝えられるわけでもない。

誰かの助けになるかもしれないその同じ言葉が、誰かにとっての毒になるかもしれない…

短絡的に表面だけで捉えたり、言葉がだけが一人歩きしたり、

そういうことがいちばん危険だと思うのです。

なにかの言葉に出会ったら、その意味を、よく考える。

そのときにはわからなくても、あとになってわかることもあるかもしれない。

だから、どんな言葉も邪険にせずに、どこかにしまっておくことも大切なのかな、とも思います。

 

さて、あなたはなにかの言葉、短絡的に捉えてはいませんか。