つらさや厳しさのはき違え | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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またこんなニュースがありました…。

バレー部顧問を書類送検=自殺の部員に暴行容疑-岩手県警』(時事通信社)

 

こんばんは。

トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 

 

ミスをしたら一番怒られる

 

リンクの記事、読んでみてください。

どうして生徒を自殺に追い込むほど厳しい指導が必要なのか、その事情は知らないけれど、

こういう話、一向に減りませんよね…。

ダメ出しを繰り返し(その解決策は示さない)、ときに人格否定までして責める、

それが、一部の学校部活動。

精神を鍛える? 根性をつける? 輝かしい成績のため?

それはでも、ほんとうの厳しさではなく、厳しさのはき違えだと思うのです。

 

 

 

元は遊びから

 

バレーボールも、そのほかの多くのスポーツも(ぼくがやっていたレースも)、そして、音楽も、

元々の起源を辿れば、それは一種の遊びであったり、

音楽であれば楽しみや癒しや、あるいはなにかの合図、そういうものであったはず。

それが今なぜ、人を追い詰めたり、時に死に追いやったりするのでしょうね。

それは必要なことなのでしょうか。正しいことなのでしょうか。

みなさんは、どう思われますか。

自殺した彼は弱いのでしょうか。それとも、なにかの犠牲なのでしょうか。

 

 

つらく苦しい?

 

自殺したくなるほどつらく苦しい経験をすることが必要なのでしょうか。

そういう経験を積むことによって強くなるのが、部活動の目的なのでしょうか。

『それによって根性と精神を育み、社会で生きていく強さを身につける』

なんていう立派な目的を語る人もいそうです。いや、実際にそんなことを何人かから聞きましたよ。

でも、それが部活動の目的なのでしょうか。

ほんとうに疑問に思うのですよね。みなさんはどう思われますか。

たとえばこれが文化部だったら、部活動の目的について文化庁は、

『豊かな心や創造性の涵養』だと言っていますよ。

 

 

 

まず楽しまないと

 

スポーツも、音楽も、思い通りにならない苦しさはあると思います。

レースをしていた頃、どうにもセッティングや走りの方向性を見出せなくて、

出るべきタイムから1秒から1秒半遅い、ということがありました。

できることは全部やってみてもどうにもならなくて、ピットで思いっきり煮詰まっていたら、監督に、

「福見さん、まずは楽しまなきゃ。遊びなんだから。」と。

うちの監督って、質問をしても、「カートは気合と根性と体力です!」とか言って、

なんにも教えてくれないんですよ(すみません、だけどほんとのことですよね^^;)。

でも、たまにはいいこと言いますよね。

 

 

本気で

 

以前にブログで書きました。たとえば音楽で言うのなら、

いい演奏、いい音楽をつくるということは、本気で音楽を追求することだと思うのです。

そしてそれは本質的には、楽しいことなはずだと思うのです。

ほんとうの厳しさとは、理想の音楽に対して妥協しない、音楽に対する厳しさであるはずです。

その理想に近づくこと、もっと良くすることは、決して、ダメなところを責めることとは違うはずです。

単なる指摘ではなく、もっと良くするためにどうしたらいいか、その方法を、生徒とともに見つけ出す、

それこそが指導であるはずです。ダメ出しや単なる指摘、ましてや責めではないのです。

そういうほんとうの指導をしていきたいと思っています。そして、

厳しさのはき違え、その犠牲、そういうことが、学校部活動の現場からなくなるように願っています。

 

さて、みなさんはどう思われますか。