今年の課題曲のスコアが再印刷されて送られてきた話は一昨日書きました。
その件、ネット上でいろいろな人に取り上げられて話題になったので、少し書いてみたいと思います。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
不適切な文言
課題曲スコア再印刷の原因は、ある曲の解説の中の、ある『不適切な文言』です。
その文言とは、『エロっぽい』だと思われます。
その曲の作曲者による解説は全文差し替えられていますので、
ほんとうにその言葉が原因かどうかは確定しませんが、まず間違いないでしょう。
さて、『エロっぽい』、不適切だと思われますか。
もちろん吹奏楽コンクールの課題曲は中学高校など教育現場でも使われるものであり、
生徒たちがこの文章を目にすることもあるでしょう。
言葉そのものではなく
問題になった(と思われる)この言葉、語源はもちろん『エロス』。
思うに、この言葉が問題なのではなく、この言葉を、『エロっぽい』という、
少し不用意な、そして軽々しい用い方で使ってしまったことが『不適切』となったのではないか、
そんなふうに思うのです。
用い方は不適切だったかもしれませんが、言いたいことは伝わる解説だったと思います。
でも、たしかに用い方としては、ちょっとどうかな、とは思いますね。
エロスとはなにか
さて、では、この語源の『エロス』、何だと思われますか。
エロース(古希: Ἔρως,Erōs)は、ギリシア神話に登場する恋心と性愛を司る神である。ギリシア語でパスシオン則ち受苦として起こる「愛」を意味する普通名詞が神格化されたものである。日本語では長母音を省略してエロスとも呼ぶ。
ウィキペディア『エロース』より
リンク先のウィキペディア、読んでみてください。
後半に出てくる『愛と心の物語』など、大方のオペラのお話などよりよっぽど全然はるかに、
美しい物語ではないですか。
エロス(エロース)って、恋心と性愛を司る神なのですね。
これを否定してしまったら…
さて、恋心と性愛をもし否定してしまったら、音楽や芸術の中の多くのものは、なくなってしまいます。
小説や、映画や、ミュージカル、ドラマ、相当多くのものが消えてしまいますよね。
それに、われわれが今存在しているのも、恋心と性愛の結果ではないですか。そうですよね。
両親の愛情の結果として、みんなこの世に生まれてきたのでしょう。
(狭い偏った意味に捉えないでくださいね)
ぼくは両親が喧嘩しているところをこれまで一度も見たことがありません。
喧嘩しない=仲がいい=愛情がある、とは必ずしも限らないかもしれないけれど、
でも、少なくとも、そんな両親の下に生まれてこられたことは幸せだったのかな、とは思っていますよ。
家庭を持って…
もうずいぶん前の話です。
ある尊敬する先生に、これからの人生について相談に乗っていただいたことがあります。
いろいろお話を聞いていただいて、アドバイスいただいて、そして、そのあと先生が言われたこと…
「人間はな、家庭を持って、子どもを育てて、それで一人前だぞ」
静かにやさしく発せられたその言葉は、深く自分の中に残りました。
もちろん、これが唯一正しい考え方ではないだろうし、いろいろな考え方があっていいと思います。
でも、ぼくは、心の中のどこか深いところで、やっぱりこう思っているんですね。
あのとき言われたからだけではなく、ね。
それが今、できていない。まだ半人前なんだな、と思うのです。
なにが不適切だったのか
さて、吹奏楽連盟の言う『不適切な文言』、実際、一体なにが不適切だったのでしょうか。
『エロス』という単語? その概念? それが、学校現場には不適切だというのでしょうか。
それとも、『エロっぽい』という、不用意な軽々しい書き方が不適切だったのでしょうか。
ぼくは後者だと思うのですよね。
それとも、『恋心と性愛』は、中学高校の学校現場には不適切でしょうか。
あんな曲!やこんな曲!は演奏しておいて?
中高生にはまだ早いとでも言われるのでしょうか。
中高生のみなさん、もし大人が勝手にそんなふうに言っているのだとしたら、どう思いますか。
言葉の使い方って大切です。
そして、その言葉のほんとうの意味をちゃんと捉えることも大切ですね。

