整った破綻のない演奏、音楽的で伝わる演奏…
ときどき二者択一のように語られたりすることがありますよね。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
どっちがいい?
整った、キズのない、はみ出さない、濁らない、破綻のない演奏。
音楽的な、よく伝わる、気持ちのこもった(?)、エモーショナルな、訴えかけるような演奏。
さて、どっちがいいですか。どっちが上? どっちが価値ある? どっちがコンクール向け?
そもそも、これって二者択一なの!?
さて、どう思われますか。
求めがちなモノ
さて、学校吹奏楽を見てみると…
たとえば学生指揮者さんが合奏をしています。あるいはパート練習をしています。
どんな指示が飛びがちでしょうか。
「音が濁っています。もっとよく聞いてください。」
「伴奏が走ります。走らないようにしてください。」
「Bのあたま、縦の線をもっと合わせてください。」
「メロディが聞こえません。もっと出してください。」…
最後のはちょっと違うかもしれませんが、ほとんどは、『整える』だったりしませんか。
整った、キズのない、はみ出さない、濁らない、破綻のないものを求めがち…
そんなことないですか。良いとか悪いとかではなく、ね。
音楽を追究すると
では、『音楽』を追求すると、整った演奏からは遠ざかるのでしょうか。
キズも増えて、はみ出す音や乱れも増えるのでしょうか。
どう思われますか。
そもそも、『音楽を追究する』、あるいは、『表現する』って、何?
表現するって
表現するって、たとえば『気持ちを乗せる』ことでしょうか。
それとも、強弱やアーティキュレーション、楽譜に書いてあることを『大げさに』すること?
あるいは、『自分たちなりの解釈』を、演奏に乗せることでしょうか。
はたまた、思いっきり『身体を動かして』、思いを伝えることでしょうか。
表現する、音楽するというのは、
音楽を読み取って、それを音にすることだと思います。
大げさでも、独自性でも、気持ちでも、思いでもなく、
音楽を読み取り、音楽と向き合い、それを音にすること。
二者択一ではなく
整った演奏、キズのない演奏、乱れや破綻のない演奏にすることは、目的ではないと思います。
それは、結果的に出来るものだと思うのですよね。
音楽を追究していった結果、出来ていくもの。
もし音楽を追究して乱れが増えるのなら、
それは拙いか、あるいは追求の仕方が間違っているかのどちらかではないでしょうか。
『整える』ことと『音楽』と、決して二者択一ではないと思うのですよね。
整うのは、結果的に整うのだと思うのです。
大切なのは、『音楽』があるかどうか、ではないでしょうか。
さて、整った演奏と、伝わる演奏は、二者択一でしょうか。

