伝統は大切だけど… | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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面白い記事を見つけました。

 
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
 
 
ら抜き言葉
 
ぼくも使います。ら抜き言葉。
『見れる』『食べれる』…
もちろんそれが『ら抜き言葉』だということは知っています。
その上で、文体、文脈などからどちらがふさわしいか無意識に判断して使っていると思います。
だから、いわば確信犯です。
 
 
 
ら抜き言葉で抜けているもの
 
冒頭の記事にある元のツイートが、こちら。
 

 

面白いですよね。
要点は…
 
『見られる』→『見れる』
『食べられる』→『食べれる』
抜けているのは『ら』のように見えるけど、じつは…
ローマ字で書いてみると、
『mirareru』→『mireru』
『taberareru』→『tabereru』
抜けているのは『ar』だ、というわけ。
 
そして、
『歩かれる』→『歩ける』
『行かれる』→『行ける』
の変化も、ローマ字で書いてみると…
『arukareru』→『arukeru』
『ikareru』→『ikeru』
やっぱり、抜けているのは『ar』。おんなじだ、と…( ・_・)
 
 
 
同じ変化なのに
 
では、同じ『ar』抜きである(だとするならば)のに、
『ら抜き言葉』は『日本語の乱れ』として否定されることがあり、一方で、
『歩ける』、『行ける』は、今は誰もが使っているのは、なぜなのか?
後者は室町時代に始まった変化であるのに対し、前者は大正昭和の時代の変化だから。
だから、後者は『日本語の変遷』となり、前者は『日本語の乱れ』だと責められる。
そういうことなのではないか、と…。
 
 
乱れか、それとも変化か
 
乱れなのか、それとも変化、バリエーションなのか…
これって単に、見方が違うだけのような気がするのです。
ただ、思うことは、
あたまの硬い一辺倒な見方や考え方で決めつけてしまうと、大事なことを見落とすのではないか
ということ。
乱れを肯定するわけではないけれど…
要はTPOなのではないか、と。
どう思われますか?
 
 
 
音楽でも…
 
これとおんなじようなことって、音楽にもないですか?
楽器の奏法、演奏スタイル、音楽解釈…
もちろん、伝統や型は大切だとは思うけれど、そこにばかり固着してあたまが硬くなってしまったら…
新しいものや今までなかったもの、それを否定するばかりになってしまうのって、つまり…
柔軟な見方や考え方が出来なくなっている、ということなのではないでしょうか。
きっとそこからは、クリエイティブなものって生まれて来ないでしょうね。
どう思われますか?
 
あたまは常に柔らかくしておきたいな、と思うのです。
 
 
ところであなたは、『ら抜き言葉』使いますか?