なにかを主張することは… | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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ここでこうしてブログを書いたり…
ツイッターSNSになにか書いたり…
もちろん実社会でも,なにかを主張したり…
主張とまでは行かないまでも,考えを伝えたり…

そんなとき,気にかけていること…
できるだけ,否定形ではなく肯定形で言い終わりたい,
そんなふうには思っています。
なにかを否定するのではなくて,なにかを肯定するように。

でも,なにかひとつのことを肯定するということは,
その反対側にあるなにかを間接的に否定することにもなる。
だから,直接的にも間接的にも,何の否定もしないで,
なにかを伝えたり主張したりすることってできないと思うのです。

それもわかった上で,伝えたり主張したりしています。
そういう意味では,確信犯的かもしれません。
いや,『犯』じゃないよね(^^;

それによって賛否渦巻く,どこかの誰かを否定する,
でもだからって,それを恐れてなにも言わずにいるっていうのは,
突きつめていけば,人として存在する価値がない
ということになってしまうのではないでしょうか。極論ですが…

そんな無色透明な,無思考従順角のない人間を良しとする,
そういう学校や,教師や,会社もあるかもしれません。
でも,それは間違っていると思います(ここはあえて否定!)。
いろいろな考え方個性主張が存在するから,
人が生きる価値社会生活をする意味があると思うのです。

なにかを主張すれば,それに賛成する人も反対する人もいます
すべての人に好かれる,すべての人に受け入れられる,
そんな人は世の中にはいない。
すべての人に受け入れられたいという望みの行き着く先は結局,
誰からも受け入れられない,というところになるんだと思います。

太陽の光は無色だけれど,いろいろに偏光されたりして,
あんなにきれいなができるのですよね。。