楽器のレッスンには、イメージを伝えるいろいろな言葉が役立ちます。
でも、奏法や身体の使い方、管楽器なら、息の流れ方、そういうことにイメージ言葉を使うのには注意が必要だと思うのです。
まず、そういうイメージ言葉、比喩言葉って、
人によって受け止め方、捉え方はさまざまです。
表現の話なら、その多様性がそれぞれの個性にもなるのですが、
奏法や身体の使い方の話だと、それが逆に誤解や勘違いの原因になりますよね。
そして、その比喩言葉が、実際の身体のしくみや働きと矛盾するものだったら…
受け取った方は、少なからず身体の緊張が増すでしょう。
実際に自分の身体で起こっていることとずれた捉え方をするわけですから。
そういう言葉って、いろいろあると思うのです。
代表的なところでは「おなかに息を吸いなさい」なんかもそうなのです。
そういう比喩言葉たちの呪縛に、ぼくも少なからず悩まされました。
身体の余分な緊張は、演奏の妨げになりますよね。
百歩譲って、、
望む音を出すためにはそういう緊張が必要だったとしても…
その音を出すために結果的にそういう動きになるのと、
その動き自体を要求されて自分の身体をそう仕向けるのとでは、
結果は天と地ほど違うでしょう。
そういう音を出すことが目的。
身体の使い方や奏法は、そのための手段。
これが逆転したり、目的を忘れて手段だけが独り歩きしたら、
百害あって一利なしなのです。
なんだか昨日書いたことと矛盾するように見えるかもしれませんが…
目的だけを求める指導は危険。でも、同じくらい、
手段だけが独り歩きした指導も危険なのです。
両方が、ちゃんと必要。
こういう音が欲しいから、結果的にこういう吹き方になった…
これが、正しい順番。
そんなことができるのは天才だけだと言った人もいます。が、
逆に、手段だけが独り歩きしても、目的地へは永遠に行けない…
なんとなくわかりにくい書き方になってしまいましたけど…
イメージ、理想の音や演奏を自分の中に持っていること。と、
よく観察して、理にかなった吹き方や身体の使い方を探求すること。
両方が大切なのです。片方だけじゃダメ。教えるときも同じです。
そして、ことばの使い方が大切なのです。
現時点の自分をちゃんと受け入れて認めてあげることも大切です。