島にゐて島で呼び合ふ四十雀

「雲の峰」2024年7月号青葉集掲載。

和歌山・友ヶ島を訪れた際の一コマ。四十雀は4~7月の繁殖期、甲高い声で「ツーツーピー」と鳴くのが特徴。街中でもよく見かける。加太港からフェリーに乗って友ヶ島へ。島に降り立って、最初に聞いた鳥の声が、この四十雀だった。あちらの森からこちらの森へ、互いに鳴き交わす様子は、仲間同士でしゃべっているようにも聞こえる。小さい島の中で、受け継がれる命がある。そんな様子に惹かれて詠んだ句。

最近、四十雀は様々な鳴き声を駆使して、仲間同士で言葉を発しているのではという説が唱えられている。生きていく上で欠かせない事なら、声を発して情報共有する。何ら不思議のないことだろう。一方の人間は、少し言葉を複雑にしすぎたきらいがある。子供の頃読んだ発明王エジソンの伝記に、彼の幼少の頃の逸話として、面白いことが書かれていた。先生が「1たす1は2」と教えると、エジソン少年は「でも先生。この右手にある泥団子と、左手にある泥団子をくっつけると、泥団子は1つになります。1たす1は1ではないのですか?」と質問。先生が烈火の如く怒るというやり取り。「屁理屈を言うな」という事だろう。ならば、大人もこんな屁理屈を言えばどうなるのか。

「では逆に聞くが、『足す』とはどういう意味か分かるかね。ここにある1という数字は、何をどう考えても絶対的に1だ。その絶対的な1という数に、もう1つ絶対的な1という数字を付け加えて、『1が二つある』という状態を数字に表すという事だ。君が両手に持っている泥団子は、左右全く同じ大きさ、同じ形、同じ重さだと証明できるかね?それをくっつけたら、『個数』は確かに1になるだろう。それは『泥団子』という単なる物質をくっつけただけ。君は1という数字の上に1という数字を継ぎ足して、大きい1という数字にしているだけだ。それを『足す』とどうして言えるのだね。トーマス・アルバ・エジソン君」

屁理屈の塊のような、およそ非論理的な言い方だが、これに対してエジソン少年は

「じゃあ先生、1はどうして1なんですか?」などと返すだろう。

これは極端な例だが、今の世の中、「言い負かした方が勝ち」という論調になりすぎてはいないか。自分の確固たる意見を持つのは結構だが、それを戦わせて勝ちを得るという行動に移しすぎる前に、他人の言い分も聞いた方がいいと思うのだが。

(絵はAIによる創作です)

 

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