秋高し漏刻の水さらさらと

 

「方円」2010年11月号雑詠掲載。

「天高く馬肥ゆる秋」とよく言うが、これは杜審言の詩の一節「秋高くして塞馬肥ゆ」から取られている。秋は大気が澄み、晴れた空が高く感じる。これを「天高し」「秋高し」と表現する。そんな秋晴れの中、大津の近江神宮に出掛ける。この神社の祭神である天智天皇が、671年に大津宮で太鼓を打って時報を開始。その10年ほど前、中大兄王子が漏刻と呼ばれる水時計を作ったとされている。現在は境内に漏刻が再現されており、今でも水が流されている。秋晴れの中、淡々と水を流し、淡々と時を刻む漏刻に、季節の移ろいを感じて詠んだ句。

2024年は、「昭和99年」だそうだ。私は昭和46年生まれで53歳。当たり前だがきちんと計算が合う。つまり、昭和の99年間の半分以上を生きた事になる。もうそんなに生きたのか。そう考えると、時の流れというものは残酷だと感じる。時間は止める事も戻す事も出来ない。生きとし生けるもの、平等に時間は経ち、年月は淡々と過ぎる。ふと立ち止まって、今まで自分は何を成し遂げたか。これから何をなしうるか。ただ淡々と生きて来ただけのように感じる。ここで人生が終わる訳ではないので、これから迎える時間を有意義に過ごしたい。

 

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