また一人鬼籍に入るや神の留守

 

「方円」2012年1月号新春精鋭八人衆特別作品「生放つ」10句のうちの1句。

「神の留守」とは旧暦十月、全国各地の神社に祭られている神が全て出雲大社へ行ってしまうため、留守になり、その間竈神や恵比寿神が留守を守るとされるところから、冬の季語とされる。2011年秋から冬にかけて、方円初代主宰・中戸川朝人氏、方円関西句会でお世話になった句友、そして中学時代の吹奏楽部の恩師が亡くなった。季節は11月。寂しく、やり切れない思いを「神の留守」の季語に乗せて詠んだ句。

この特別作品に寄せて、当時書いたコメントをご紹介する。

 

若き作曲家、飯島俊成氏が、第十四回「響宴」の委嘱作品として作った「受容~此の岸と彼の岸との狭間~」に寄せるコメントとして、こんな事を言っている。

「生とは死を受容すること、死とは生を受容すること。此の岸と彼の岸との狭間はひょっとすると人生の中で一番素敵な時間なのかもしれない。大切な人を置いて逝く悲しさ、大切な人に置いて逝かれてしまう寂しさ。悲しく寂しくはあるけれど、穏やかに受け入れたい。大事な人が彼の地に渡ることも、自分が渡ることも…受容。」

「鬼籍に入る」という言葉がある。つまりは、閻魔帳に記録として残されること。そう。彼の岸へ渡った後も、生きた証は必ず残る。人の心の中にある、此の岸と彼の岸を結ぶ川幅は、決して広くないと信じている。色鮮やかな花や実を見るたび、彼の岸へ向かう希望もあれば、此の岸で生まれる希望もあるのだと、改めて思う。若い私達の世代が、此の岸の途切れぬ希望とならんことを祈りたい。(原文一部抜粋)

 

この句を詠んでから10年余り、大切な人が次々と彼の岸へ渡った。12月、母の納骨を行う。この句を詠んだ時に感じた寂しさと希望を忘れずに、これからも過ごしたい。

 

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