荒れ庭を終の棲家に式部の実

 

「方円」2012年12月号特別作品「秋水秋景」15句のうちの1句。

式部の実とは紫式部の事。紫式部はクマツヅラ科の落葉低木で、秋になると紫や白の鮮やかな球形の実を付ける。秋の季語として認識しており、例句もあるが、私が普段使っている角川合本俳句歳時記には、意外にも載っていなかった。しかし好きな季題のひとつ。この句で描かれている式部の実は、廃屋か空き家か、荒れ放題の庭に生っている。そこに植えられたか自生しているのか不明だが、その地に根付いている以上は、この荒れ放題の庭が「終の棲家」になる。そんな定住地に、この秋も鮮やかな紫色が見られる。そんな健気な生の様子を詠んだ句。

この時の「方円」12月号を改めて開けてみたら、ここで紹介した特別作品に寄せて、こんな文章を書いていた。

 

「海のないところで生まれ育ったせいか、昔から海や水辺に憧れる。公私ともども例年になく多忙で、リセットしたいと感じた時、息抜きに海や湖が見たいと思うのは、母親の胎内にいる時からの、潜在的な記憶なのかもしれない。(中略)当たり前の話だが、場所や土地柄、季節や天候によって、水辺とその周辺の景色が大きく変化するのに驚かされる。そんな自然の中の風景に身を置くと、普段つまらない事にプライドを持ったり傷つけられたり、腹を立てたりという出来事が小さく思える。自分を客観的に見る事ができるうちに、美しいものに触れたいものだ。」(原文ママ)

 

11年前の若い私も、仕事や様々な事で思い悩んでいたらしい。人間の感情は、何年経ってもさほど変わらないもの。しかし、「自分を客観的に見る事ができるうちに、美しいものに触れたい」という感覚は、忘れかけていた感覚でもある。今改めて、感覚を研ぎ澄ませて、美しいものに触れていきたい。

 

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