斎場の煙途切れず夾竹桃
「方円」2008年8月号雑詠掲載。
本日、6月23日は沖縄戦にちなんで慰霊の日。そこで直接関係ないかもしれないが、慰霊にちなんだ句を紹介する。この句は恐らく、亡母から「私の中で夾竹桃は、広島に原爆が落とされて、焼け野原になってからすぐ咲いた花というイメージがある」という話を聞いた直後に詠んだ句と思われる。歳時記を見れば、「ヒロシマの夾竹桃が咲きにけり(西嶋あさ子)」という、実にストレートな句を始め、「夾竹桃日暮は街のよごれどき(福永耕二)」など、環境に強い花というイメージを表した例句が並ぶ。特に赤い夾竹桃は「病人に夾竹桃の赤きこと(虚子)」と詠まれる通り、夏空に映える鮮やかな色を付ける。そんな夾竹桃が咲く中、父母の葬儀の際にもお世話になった、山の中腹の斎場が遠くに見える。今日もご遺体を焼く煙を立てて。そうした煙を遠くに見ても、夾竹桃は実に濃い赤色を誇って咲き続ける。この花が持つ強さを詠んだ句。
このブログが、半ば弱い自分を何とか奮い立たせようとするような文章ばかり続く事をお詫びしたい。しかし、自分は何も出来ない人間なんだと、嫌という程企画するような出来事が起こり続けている。そんな自分の情けない姿とは裏腹に、近所の線路沿いに咲く夾竹桃の赤の眩しいこと。思わず、「お前、偉いなぁ」と花に向かって語り掛けてしまいそうな、そんな心境だ。せめて自分に自信をもって、背筋を伸ばして歩くという、心構えだけでも持ちたいと思うが、なかなかそういう気持ちになれない。今日は、そうなりたくても今は決してなれない、戦争で犠牲になられた方々の御霊に祈り、この方々の分まで生きねばと決意する日にしたい。
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