子の駆けるあとの微風や梅雨晴間

 

「方円」2018年6月号特別作品「四葩育む土」15句のうちの1句。

子どもはいつでも、どんな時でも元気いっぱい駆け回る。その力の源は何なのか。いつも不思議に思う。そんな子どもが、梅雨の晴れ間の好天の中、どこかへ走り去る。彼らが通り過ぎる一瞬だけ、風が通り過ぎる。そこで一瞬の涼が生まれる。子どもは自分たちのパワーを全て使い切るだけでなく、周りにいる人を一瞬の涼に誘い込み、間接的にそれが自分の力になる時がある。特に梅雨の晴れ間の湿度が高い時期、特に強く感じるその感覚を詠んだ句。

私は、昔からあまり活発に走り回らない子だった。幼稚園時代、みんなが外で遊びまわっている時、私はひとり室内に籠り、下駄箱に書いてある園児たちの名前を順番に読んでいた。そんな子どもだった。小学校に上がり、吹奏楽に出会う前は、ソフトボール部に少しだけ在籍していたが、守備も打撃もセンスがなく、長続きしなかった。小学校低学年の時は、本当に運動神経が鈍く、徒競走も常に最下位だったが、高学年になると、短距離だけは人並みになった。でも、それがピーク。なので、この句のように、風を撒き散らすほど元気に走り回った記憶がない。大人になり、あちこちハイキングなどに出掛けるようになると、すぐに息が切れてしまう。何とも情けない限り。せめて幼いころ、もう少し友達と走り回っていたら、自分の人生は少しだけ変わっていたのかもしれない。そんな事を考える事もある。せめて、今走り回っている子どもたちの、その元気と力を少し分けて貰いたいものだ。

 

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