大方は土に還れる落椿

 

「方円」2022年6月号円象集掲載。

椿と山茶花の見分けが付きにくいというのを耳にする。最も分かりやすい見分け方は、山茶花が花びら1枚1枚散るのに対し、椿は花ごと落ちる。この時期、そうした花ごと落ちた椿をよく目にする。我が家の庭にも椿があり、根元に花がたくさん落ちていた。落ちた花は、暫くは在りし日の色をそのまま残しているが、暫く経つと枯れた茶色になり、土に還る。ただ、一斉にそうなるのではなく、落ちた時期、枯れた時期によって微妙にタイミングがずれる。そのため、ほとんど土に還っても、まだまだ色付いたまま落ちているという花も、僅かながら見られる。そんな「残った花」は、未だ土に還るのを良しとせず、まだ生きたいと願っているのか。そんな事を想いながら詠んだ句。

趣味の世界は楽しく、とことんまで追求して、長続きする私だが、これが仕事となるととたんに無能と化し、毎日嫌な思いをしながら一日過ごす。そんな方もいらっしゃるのではないだろうか。私もその一人。しかし、独りになった今、生活せねばならないという思いで、今は仕事をしている。世の中の人はだいたいそうなのだろう。問題は、今の仕事を「天職」として、最後の最後までしぶとく生きるか、思い切って違う世界を覗いてみるか。どちらの生き方が正解という答えはない。しかし、のんべんだらりと一日過ごすだけならば、それは「しぶとく生きる」という事にはならないのではないか。最近そう思いだした。ただ、私には思い切る度胸がない。

 

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