両雄のまみへし辺り田を起こす

 

「方円」2016年6月号円象集掲載。同年3月、松尾山・関ヶ原合戦場を訪れた際に詠んだ句。関ヶ原の戦い。言わずと知れた天下分け目の戦い。映画やテレビドラマなどでは、広い草原で大勢が剣を交える様子がよく描かれるが、実際行ってみると、史跡として整備されている所を除けば、山に囲まれた田園風景。田んぼでは田起こしが始まり、畑は耕される。ごく普通の光景が広がる。合戦が行われた当時も、この場所は普通の農村だったのだろう。そこに人が集まり、歴史的な出来事が起こる。それが起こったがために、普通の農村が史跡になり、後世まで語り継がれる場所になる。そういうものなのかもしれない。そんな事を想いながら詠んだ句。

「古い航空写真」というアプリがある。1945年から現在までの航空写真を比較できるアプリ。我が家周辺は一面田畑だった所がどんどん開発されて、すっかり形を変えてしまった。その中でも、昔からずっと田畑という所もある。母校の中学校周辺は、昔からの田畑がずっと残っている。歴史が進むにしたがって、形を常に変える場所に対して、昔から変わらない場所を「取り残された場所」や「遅れた場所」などとは言いたくない。人の生活は変わっても、そこにずっとあり続ける風景。私はどちらかと言うと、そちらの方が安心する。街中は街中で魅力的な所はあるが、どちらが好きとは言い難い。どちらも歴史の一ページとして、自分の目に焼き付けておきたい。

最後に、大学生時代、朝日新聞京都俳壇に、唯一掲載された拙句を紹介しておこう。

猫柳空き地にビルの迫り来て ヒデキ

 

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コダマヒデキ~音楽と俳句の部屋~