冬蝶落ちなほ鱗粉の輝けり

 

「方円」2009年2月号雑詠(現・明象集)掲載。

「蝶」だけなら春の季語だが、夏の蝶、冬の蝶と、季節の名を冠すると、それぞれ夏の季語、冬の季語になる。とりわけ冬の蝶は凍蝶とも呼ばれ、死んだようにじっとして動かない場合がある。実際に死んでいる場合もあるという。そんな冬の蝶の命が尽きて、地面に落ちている。しかしその羽根を飾る鱗粉は、鮮やかに輝いたまま。恐らく命尽きて間もない蝶だろう。死して尚美しい姿を見せる蝶の、一生懸命生きた姿を思い浮かべながら詠んだ句。

今まで幾度も人の死に立ち会ってきた。その度に、人とはこうもあっさりと逝ってしまうのかという空しさを感じる。とある写真家が、末期患者の死の直前と直後の顔を2枚並べた写真を発表していたが、総じて亡くなる前は不安げな顔をしており、亡くなってからは穏やかな顔に変わっていた。もう苦しまなくてよいという安堵感からだろうか。それとも生きた証を人に見せ切ったという満足感からなのか。それは分からない。生きている身としては、不安で仕方がない。出来る限り生き続けたいと思う。いざ自分がそういう場面に直面した場合、本当にやり切ったと自信を持って言えるのか。その日のために頑張る訳ではないが、自分にはまだやる事があると思っている。

 

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