けふ葬儀一葉遺せる冬木桜

 

「方円」2012年1月号特別作品、「新春精鋭八人衆」への投句15句「生放つ」より1句。

10年前、「特別作品として、雑詠の他に15句投句お願いしたい」と方円編集部より初めてお声がかかった。いい機会だと思って、苦労しながらも選んだ15句。何故「生放つ」というタイトルにしたのか。当時のコメントを見ると、中戸川朝人前主宰、関西句会の句友と、立て続けに知人を亡くしていた時期だった。中でも11月には中学時代の吹奏楽部の顧問である恩師の訃報はショックだった。この句で言う葬儀とは、恐らくその先生の事を指すのだろう。春に華やかな色を見せる桜の木は、冬になると「冬木桜」という寂しい季語になる。そんな冬木桜に歯が1枚だけ残っているのは、この世の名残なのではないか。そんな事を考えながら詠んだ句。

当時のコメントには、こんなことが書かれていた。

「『鬼籍に入る』という言葉がある。つまりは、閻魔帳に記録として残されるということ。そう。彼の岸へ渡った後も、生きた証は必ず残る。人の心の中にある、此の岸と彼の岸を結ぶ川幅は、決して広くはないと信じている。色鮮やかな花や実を見るたび、彼の岸へ向かう希望もあれば、此の岸で生まれる希望もあるのだと、改めて思う。若い私たちの世代が、此の岸の途切れぬ希望とならん事を祈りたい。(原文ママ)」

10年経って、両親を失った私は、今前向きにこう思えるだろうか。ただただ生きる事に必死なのではないか。親しい人を失ったあの時と今は、環境的には似ている。あの頃の前向きな自分を思い出したい。

 

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