神鹿の一礼をして参りけり

 

「方円」2017年12月号円象集掲載。

天使とはあまり関係ないが、今日紹介する句は奈良・春日大社で詠んだもの。奈良公園やその周辺を闊歩する鹿は、春日大社の祭神、武甕槌命(タケミカヅチノミコト)が茨城県鹿島神社から神鹿に乗ってやって来たという言い伝えから、神の使いとして保護されているという。強引にこじつけると、ある意味天使と言ってもいいのか。そんな鹿が、春日大社(あるいは脇の分社か)の鳥居をくぐるとき、立ち止まって一礼したように見えた。単純に下の草を食べただけなのかもしれないが、場を弁えている。神の使いともなれば、それなりの自覚があるのかもと勝手に想像して詠んだ句。

何故今日はこの句を選んだのか。恥ずかしながら、職場で人前で激昂してしまった。冷静に考えたら自分にも責任がある。怒ってから「しまった」と思った。人の話を冷静に聞いて、それに対して自分の伝えるべきことをわかりやすく言えばいいものを、人に伝わらない言い方を祖いた挙句に怒ってしまう行為は、恥ずべき行為と反省せねばならない。いつでもどこでも場を弁えて、感情のコントロールをするよう心掛けないと、誰もついて来なくなる。そんな事を考えたら、ひどく落ち込みながらも、まだ心の中ではイライラしている自分がいた。洋画に出てくる天使は、いつも穏やかな表情というイメージがある。感情を抑え込みすぎるのもいけないかもしれないが、全て前面に出す必要は全くない。そう考えて生活せねばならない。

 

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