夾竹桃如何に街並変はれども
「方円」2002年9月号雑詠(現・明象集)掲載。今から20年前の句。
この頃、夾竹桃の花を知らず、今は亡き母に教えてもらった。その時こんな事を言っていた。曰く、広島に原爆が落とされた際、最初に花開いたのが夾竹桃だったと。そういうイメージがあると。歳時記で調べてみたら、実際に乾燥や大気汚染に強く、道路沿いの植え込みに植えられることが多いという。そのイメージを受けて、改めてこの花を見てみると、確かに何があってもしっかりと咲く。田舎の農村が街に変わろうと、周りがどうなろうと、私は私というしっかりとした意志を持って咲いているように思えた。恐らく俳句を始めて、夾竹桃という季語を始めて用いた句。
我が家の近所にも、夾竹桃はあちこちで咲いている。都会と違って、さほど車も通らない住宅街だが、赤や白の鮮やかな花を咲かせている。イメージというものは不思議なもので、同じ花でも、劣悪な環境で育った花の方が鮮やかに見える。それほど生命力溢れた花という事だろう。厳しい生存競争を生き抜くためには、今いる環境に適応しなければならない。自分自身に置き換えてみると、環境が大きく変わったら適応できるだろうかと考えてしまう。自分の意志より先に、こうと決められた事に忠実に従おうとしている限り、無理かもしれない。どんな条件でも生きられるには、しなやかな思考が必要だと、今日失敗続きの自分に言い聞かせている。
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